川越まつり (’04.10.16〜17)

都心から電車で約1時間。川越市は「蔵の街」「小江戸川越」として江戸時代の面影の残る街並みが広く知られています。

「川越まつり」は、川越氷川神社の祭礼から発展し、350年以上の時を経て現在に至ります。もともと川越氷川神社の秋の祭礼は隔年で行われていて、田楽や相撲などが奉納されていました。慶安元年(1648)、川越城主松平伊豆守信綱が神輿や獅子頭、太鼓などを寄進し、大江戸の天下祭にならい、神幸祭を執り行ったのが川越まつりのはじまりといわれています。数年前までは10月14日、15日に行われていましたが、現在では、10月の第3土曜日と日曜日に行われています。


まつりのハイライトは、やはり夜。夕方早めに川越に着いたので、「小江戸川越」と呼ばれる街並みを久しぶりに歩いた。

 
江戸情緒あふれる川越のシンボル「時の鐘」。1日4回、蔵造りの街並みに鐘の音を響かせている。  

菓子屋横丁

明治の初めから駄菓子を製造している菓子屋横丁は、川越を代表する観光スポット

 


PM6:00頃から「宵山の山車揃い」が行われ、山車の提灯には火が灯され、街のあちこちからお囃子が聞こえ始める。

お囃子は山車の上だけではなく、

街角に設置された舞台でも行われている。

獅子舞に頭をかまれ号泣する赤ちゃんも居たり・・・(笑)。

囃子は、笛1人、大太鼓1人、小太鼓2人、鉦1人の五人囃子に、踊り1人で構成されます。曲目は屋台、鎌倉、四丁目、仁羽などがあり、天孤、獅子、モドキ、オカメ、狸などの面をつけた踊りが披露されます。珍しいところでは舞台に寝ながら両足にオカメ、ヒョットコの面をつけて踊る「足踊り」もあり観客を楽しませています。

 

川越の山車は、いわゆる鉾(ほこ)山車」と呼ばれる形で、車輪が3つ、もしくは4つ付いています。車輪の上のせいご台に二重の鉾を組んで、上層の鉾の上に人形が乗る格好になります。下層の鉾から上層の鉾がスルスルとせり出す構造になっていて、さらに人形もせり出すようになっています。祭りの状況、山車のいる位置などに応じて上げ下げを行います。

川越まつりの山車の最上部には、 人の体よりやや大きな人形が飾られます。各町内の人形は、翁や山王などのように能や舞楽から取り入れたもの、弁慶や浦島太郎などのように、歴史上や民話に登場するキャラクターの人形もあります。人形は常に山車の上に出ているわけではありませんので、二重に組んだ鉾の上に人形がせり上がっていく時、周りの観衆からは歓声がもれます。人形が山車の上に立つと、山車を包む緊張感がぐんと増すように感じられます。

多くの山車は黒や赤の漆で塗られ、金箔をところどころに用い、欄間、破風、蹴込みなどには、手の込んだけやきの彫刻などがはめ込まれています。上下の鉾にはそれそれ幕を張りますが、煌びやかな縫い取りが施され、柄や色彩も実に多様です。山車の随所に職人の精巧な技の数々が盛り込まれ、豪華絢爛と形容される山車が形作られているのです。

 

PM8:00頃からはあちこちの町内の山車が動きだし、「曳っかわせ」が始まる。

川越まつりが一番の盛り上がりを見せるのは、やはり、この「曳っかわせ」の時。「曳っかわせ」とは、交差点などで山車同士が出会うと、山車の正面を向け合って囃子と踊りを競い合うことをいいます。特に勝ち負けがあるわけではありませんが、しばらくの時間、囃子を奏で踊りを披露し合います。

回転式の囃子台をクルッと向け合い、軽快に囃子を奏で、両町内の若衆たちが山車の前で提灯を片手に歓声をあげる。。。重なり合う囃子の音色は、観ている人達を江戸時代へとタイムスリップさせる。

山車が2台ならまだしも、これが3台、4台、5台と一箇所に集まってくる時もあり、夜の闇に浮かぶ絢爛豪華な山車から漂うオーラと、山車を取り囲む人々の息遣いが一層強いものになります。

闇の中に光を放つ山車が浮かび上がる情景は、強烈で荘厳な印象を与えます。

 

日帰り旅日記