三内丸山遺跡

もともと三内丸山遺跡は江戸時代から知られている有名な遺跡だったが、青森県が県総合運動公園の拡張に伴い、平成4年度から三内丸山遺跡の埋蔵文化財発掘調査を行ううちに、縄文時代の常識を超える出土品が続々を発見され、ここ三内丸山遺跡が、約1500年以上継続して営まれた日本最大の縄文集落跡として、全国的に例のない、きわめて重要な遺跡であることが明らかになってきた。

特に平成6年に大型堀立柱建物跡が発見されたことで一気に保存を求める声が大きくなり、青森県は建設中だった野球場の工事を中止し、この遺跡を保存することを決定。集落を形成していたと考えられる39haを遺跡の保存区域として、特徴的な建物の復元、出土品の公開を行っている。

 

平成14年11月にオープンした「縄文時遊館」(左)。

三内丸山遺跡の紹介のビデオなどが流れる縄文シアター(右)や縄文ギャラリー、レストラン、売店などがある。

 

「時遊トンネル」は、まるで縄文時代へのタイムトンネル

 

トンネルを抜けると、目の前には縄文時代の集落が出現!

堀立柱建物(左)と竪穴住居(右)

 

平成6年に発見された大型堀立柱建物跡(左)。柱穴直径約2m。6ヶの穴の中心間隔は全て約4.2mとなっており、当時、長さの単位基準があったと推測される。穴を覗くと、中に直径約1mのクリの木で出来た巨大木柱がある。腐りにくいように木柱周辺やその底を焦がしてあり、また、地下水位も高かったのでこれまで残っていたものと考えられている。風化を防止するためにプレハブ小屋で覆われて保存されている。

6つの柱の跡から想定される物は諸説あるが、青森県が復元したのはこんな建物。用途についてもよく分かっていないが、祭祀的な色彩の強い非日常的な公共の施設を想定して復元したらしい。一体縄文人は、こんな巨大な建物で何をしていたのだろう・・・?いろいろと想像がふくらむ。

 

南盛土

約1000年間、生活の廃棄物や残土などが積み重ねられてその厚さは2.8mにも及ぶ。水平に堆積していることから、常に整地されていたと考えられている。大量の土器、石器の他に土偶やヒスイ製の玉なども出土している。

 

子供の墓

大人の墓は居住域から少し離れた共同墓地のような所にあるのに対し、子供の遺体は土器に入れられ居住域近くに埋葬されていた。墓の中の子供が寂しがらないように・・・という縄文人の親の気持ちからか・・・?

 

大型竪穴住居

復元された大型竪穴住居は、長さ32m、幅9m!その規模の大きさから共同作業所、集会所、厳しい冬季は共同家屋として使っていたのではないかと推測される。

今までいくつかの遺跡でいろんな住居跡を見たことがあるが、こんなに内部の広い住居跡は初めて!現在でも充分使えそうなくらいの広さ。

 

・・・番外編・・・

「縄文時遊館」内のレストランで売られている「ソフト栗夢(ソフトクリーム)」¥280

見た目もケーキのモンブラン風で、味は栗の味そのもの!甘さ控えめでおいしかった♪