fu-koの盲腸日記 

4月26日 〜 発症 〜

その日の朝は、普段と何も変わらない月曜日の朝だった。フツーに朝食を食べ、フツーに出勤準備をして元気に家を出た。だが、「その痛み」は通勤電車の中、突然やってきた!「う・・・右脇腹が刺すように痛いぞ・・・」と思ったのも束の間、10分後に職場の最寄り駅に到着する頃には腹部全体の激烈な痛みのため、歩くのもやっとの状態になった。足を引きずるような感じで、ゆ〜っくりと歩いて職場に到着。この日は早番だったので、職場には相談出来る人がまだ誰も居ない・・・。サッサと開店準備もしなくてはいけないのだが、床に座り込んだまま1歩も動けない状態に。しかも、あまりの激痛のため吐き気・嘔吐も始まった・・・。「う〜〜〜、もうダメ〜!帰りたいけど歩けないよ〜(>_<)」

半ベソ状態で居るところに次の出勤者がやってきた。すぐさま「病院行っていい?」と許可をもらい、そのままお腹を抱えて職場の目の前にある病院へ・・・。とりあえず空いてそうな内科を先に受診し、その後婦人科へも回してもらうことにして順番を待つ。待っている間にも激痛と吐き気で生きた心地もしない・・・。顔見知りなのできっと順番は早めてもらったんだとは思うけど、それでも異常に長い待ち時間に感じた。

診察室に入り冷や汗をかきながら状況を説明。「そんなに急激だと、結石かな?エコー見てみよう」と、まずはエコー検査。だが「石は無いみたいだねぇ〜、血液検査のあと、婦人科も診てもらおうか?」と、婦人科に回されることに。血液検査へ行くにも、あまりの痛みの為起きあがれないので、座薬を使用して、空きベッドに横にならせてもらいその状態で採血し、婦人科の順番を待った。1時間後、座薬のおかげで痛みがだいぶ治まり、婦人科の受診も終了したが、あまりハッキリとした原因が見つからない。。。再び、内科に戻りもう一度触診。「白血球が1万超えてるんだけど、盲腸だとお腹はもっと腫れるから違うよねぇ〜。抗生剤と座薬で様子を見ましょう。」と言われ帰された。

痛みも吐き気も少し落ち着いたので、午後はそのまま仕事をしていたが、途中、薬が切れた頃に激痛が復活。歩いたり、笑ったりするだけでも響くような痛みが出る。再度座薬を使用してやっと勤務時間終了。職場の面々からは、「絶対に盲腸だよ!明日、他の病院行ったほうがいいよ!」と言われ続け、「自分たちが日頃扱っている処方箋発行病院を信じてないみたいで、そんなコト出来ないでしょ〜」と笑いながら帰宅。

しかし、帰宅後はそんな悠長に笑っていられる状態では無くなってきた。「立っていられないほどの激痛=食事が作れない!」 とりあえずshinjiには「会社でご飯食べてきて」とメールを送り、私は空腹ではあるもののとりあえずベッドにダウン・・・(>_<)。

でも、痛みが治まらず眠ることも出来ず数時間を過ごす。特に、寝返りを打つときと、右足を動かす時に痛みが増す。途中、痛みが引いた瞬間を狙って医療関係者向けのぶ厚い医学事典を引っぱり出し関連ページを検索。「白血球1万以上もあって、『様子を見ましょう』というのは、やはり絶対におかしい!!!」という結論に達した。・・・が、「夜間に救急で病院に行くと危険が増す」というのは世間でも噂されている事実(^_^;) 夜中帰宅したshinjiがゼリー飲料を買ってきてくれたので、それを飲んで不眠のまま夜が明けるのを待った。

4月27日 〜 緊急手術 〜

寝不足のまま夜が明けた。shinjiは今日は大事な仕事があるので会社を休めない。お腹をさすりながら仕方なくひとりで昨日とは違う病院へ行くことにした。以前からshinjiもお世話になっている総合病院で、もちろん「外科」があることが大前提。痛みはあるが空腹もあるので(笑)、この後大変な事態になるとは露知らず「サンドイッチ」と「紅茶」で朝食を済ませ病院へ。

病院の送迎バス乗り場が見つからずに迷子になり無駄な時間もあったが、AM10時過ぎになんとか病院に到着。受付で問診表を記入していたら、総婦長さんらしき人が「お腹痛いの?」と声を掛けてきた。前日からの経過を全て話し、「消化器か外科か内科か・・・にかかりたいんですけどぉ」と言うと、「今日は副院長先生が居るから外科にしましょ」と言い切り、待合室に連れて行かれた。

待つこと30分。名前を呼ばれ診察室に入り、「昨日朝30分間くらいで激痛になった。」とだけ言ったら、服の上から3ヶ所だけ触診。「痛む部分をそっと押え急に手を離すと痛みが増す」ことを確認し、「たぶん盲腸でしょ。とりあえず検査してみましょ。」ということで検査開始。血液検査→レントゲン→腹部エコーと順番に回り再び診察室へ戻ってくると、

Dr 「盲腸ですね。正式名称は虫垂炎だけどね。しかも即、手術適応のレベルですがどうします?」

fu-ko 「え?『どうします?』って・・・今日出来るんですか?」

Dr 「前に2人オペ予定があるから4時頃になるけど。」

fu-ko 「・・・・・。GW明けまでは延ばせないですよね〜?」

Dr 「・・・(^_^;)。なんか予定あるの?年齢的にこの状態で薬で散らすのは危険だと思うよ。破裂するとオペがもっと大変になるし、何人かそう言って散らした人いるけど、みんな大変だったよ。」

fu-ko 「破裂(@_@)!? このまま旅行に行ってもツライだけだから手術します・・・(T_T)」

緊急手術決定オペ開始予定時間は3時間後!!!「緊急事態」なので手術関係の備品は病院から借りることになるが、術後の入院関連用品も用意しなくてはならない。「重要な仕事がある」と言っていたshinjiだが、群馬と静岡に住んでいる両親はすぐには来れないので、駄目モトでshinjiの会社に電話。「なんとか調節してみる。」という返事をもらい、手術&入院手続きをしながら手術の為の検査開始。

レントゲン、尿検査、血液検査、心電図、最後は耳たぶを利用しての出血が止まるまでの時間の計測なども行われ、激しい腹痛を感じる間もないほど忙しく院内を移動して検査を終了。怒濤の数時間。。。心の準備をする暇もない。手術直前の「腰椎麻酔をかかりやすくするための筋肉注射」が一番痛かった!

shinjiはなんとか会社を早退出来て病院に到着。群馬の私の両親もギリギリ手術前に到着。母親の第一声は、「あんた、いろいろとうるさく言わないで、おとなしくしなくちゃ病院追い出されるわよ!」 あのぉ〜、それがオペ前の娘に掛ける言葉なの〜?(-_-;)

手術室では「宇多田ヒカル」のアルバムが流れていてのどかな雰囲気。「さあ、はじめよっか〜。」と明るい声で先程診察したDrが、ちょっと若めの新人と見られるDrを引き連れてやってきた。ものすご〜く痛い筋肉注射のおかげで腰椎麻酔はほとんど痛みを感じなかった。数分後には麻酔がバッチリ効き始めオペ開始。もともと低血圧なので、途中2回昇圧剤を投与されたが、朝食を食べているにもかかわらず吐き気もなく約30分でオペは終了

「盲腸取れたけど見る?」と聞かれ、「せっかく意識があるので、見せて下さい。」と返事をして見せてもらった。長さほんの5cmくらい、幅1cm未満。このサイズでも通常の倍以上に腫れている状態らしい。あんな小さなモノのせいで激痛が起こり、放置したら破裂するなんて信じられない・・・。

そういえば、2人のDrはオペ中、ほとんど会話も無く黙々と手術をこなしていた。最後の縫合の際、「傷跡が目立たない縫合の仕方」の指導をしていたくらい。。。腰椎麻酔だと患者の意識はシッカリしているので、うかつな会話も出来ずにオペがやりづらいんじゃないかなぁ?

病室に戻った私は結構元気(^_^)v 昨年、骨折したshinjiも腰椎麻酔でオペをしたが、3時間以上という長時間のオペだったせいか病室へ戻ってきても声も出ないほど調子悪そうだったけど。。。私の元気な様子を確認し両親は帰って行った。もちろんshinjiも安心して面会時間が終了したら帰って行った。

だが、実は本当にツライのはその後だった・・・。麻酔が切れ始めるのと同時に吐き気が始まり、止血剤の点滴の合間に吐き気止めを2回、鎮痛剤を1回投与。当然この日は絶飲絶食のため、喉が乾いても何も飲めない。。。看護師さんはこまめに様子を見に来てくれたが、あまり眠れないまま夜が明けた。。。

4月28日 〜 オペ後1日目 〜

朝の検温時に、「今日から普通に飲食して良いですよ。」と言われた。昨夜は吐き気に悩まされたが、今は大丈夫!お腹空いた〜!!!まだ自力で起きあがれないのでベッドの背もたれを上げてもらい、テーブルをセット。で、目の前に用意された最初の食事は・・・お粥を濾過した液体部分、具無しみそ汁、リンゴゼリーにお茶。。。全然「普通の食事」じゃないじゃん(-_-;)

朝食時から抗生剤と電解質輸液500mlを3時間くらいかけて点滴。昨日からず〜っと言われ続けた「腰椎麻酔の影響で起こるという頭痛」は、いまのところ全く現れていない。回診に来たDrからも「頭をあまり振らないように!水分をたくさん摂るように!」と言われたが、症状が全くないのであまり実感がない。でも、念のため通常の生活よりも多めに水分を摂るようにしていた。

傷の痛みは、トイレに行くために起きあがるのにもベッドの手すりを使わないと出来ないレベル。。。入院手続きの際、「1週間くらいなら大部屋でいい」と申し出たけど大部屋が満室だったので、トイレ&洗面所付きのリッチな「2人部屋」(笑)に入院していた。これが実は大当たり!この状態で歩くのは絶対に無理だもの〜!

昼食前に会社から休みをもらったshinjiがお見舞いに来た。GW前なのでなんとか休みの融通が利いたらしい。いろいろと買ってきて欲しい物を頼んで、また夕食時に来てもらうことにした。

その後、昼食は「少し粒のあるお粥+形のない刻まれたおかず」、夕食は「5分粥+刻みおかず」・・・と、少しずつ固形になっていき、点滴は夕方から朝と同じ物を消灯時間のPM9:00直前まで投与。

この日1日、傷の痛み以外に特に異常がなかったので、「このまま1週間はきっと飽きるよねぇ〜」と呑気に話していたけど、夜中に突然事態が急変!!!背中から頭にかけて激痛が走り、寝ているのも辛くて夜中にしばらく起きている羽目になった。。。当然、起きあがっていてもガンガン頭痛はするんだけど・・・。

最初は「1日寝ていたからそのせいで背中が痛いのか?」と思っていたけど、未体験の痛みなので、どうやら「例の頭痛」ではないかと気づいた。。。

4月29日 〜 オペ後2日目 〜

ひどい頭痛の為、食欲が無い。特に下を向くとズンズンと頭全体に痛みが響き、そのまま前に倒れ込みそうなくらいの頭の重さを感じた・・・。食事は5分粥から普通のお粥へと進歩していたが、1日中ほとんど食べられない状態。この日は1日中微熱が続き、ほとんど寝ているだけ。生きた心地がしなかった。

朝の回診時に、Drが「頭痛用の点滴と内服を処方する。」と言っていたが、薬が届いたのは昼頃・・・。この日は祝日だし、病院内でのいろんな手続きがあるから仕方ない(-_-;)とは思うけど、患者さんの苦痛を除くためには、もっと迅速な対応が必要だと感じた。まあ、私も病院勤めをしていた時に、看護師さんに「急ぎです〜!」と言われても、「順番だからぁ〜」と、呑気に仕事をしていた覚えがあるんだけど。。。

4月30日 〜 オペ後3日目 〜

朝は昨日と同じ頭痛用の薬を含めて3本の点滴。夕方は初日と同じ2本の点滴。頭痛はあいかわらず続きあまり緩和されていないので、薬の効果は無いのでは?という気もする。。。

微熱もまだ続いているが、食事は「お粥+形のある普通おかず」になってきたので頑張って食べる。でも、連続5分以上起きていると頭痛が悪化するので「一気喰い」の状態で、あまり身体に良くないかも・・・(^_^;)

この日は、オペをした主治医の回診。頭痛が始まったことを伝えると、頭痛の原因の説明のあと、「針はすんなり入ったんだけどなぁ〜。ま、その頭痛がいまだかつて1週間以上続いた人はいないから、安心してください。」と元気付けて帰っていったが、私にとっては「こんなのが1週間も続くなんて耐えられない・・・」って感じ。。。明日は術後初の諸検査があるらしい。

5月1日 〜 オペ後4日目 〜

この日は最初と同じ朝夕2本ずつの点滴に戻ったが、頭痛はあいかわらず・・・。朝食前に検査のための採血。その後、AM11:30頃、看護師さんから「1階のレントゲン室に行って下さい。」と言われた。でも、私はただいま点滴真っ最中。「点滴中なんですけどぉ〜」と言ったら、「点滴にキャスター付いてますよね?そのまま行って下さい。」だって・・・。しかも、誰も手伝ってくれる様子が無い。子供じゃないから仕方ないとは思うものの、頭も痛いんですけど〜(>_<)

怒りと心細さでウルウルしながら、ガラガラと点滴台を連れて病室を出る。だが、安静にするよう言われトイレも病室にあったので、この時点で1歩も病室から出ていなかった私。廊下に出たものの、現在地どころかエレベーターの位置さえ分からない。仕方なく近くにいた掃除のおばさんに「エレベーターはどっちですか?」と聞いたら、とっても不思議そうな顔をして「あっち。」と教えてくれた。

その後も、1階に降りたけど「レントゲン室」の位置が分からずひとりでキョロキョロ、ウロウロ。入院患者なのにすっかり迷子。。。いろんな人に場所を聞きつつやっとの思いでレントゲン室に到着した頃には、頭痛は激痛に変わり吐き気も増大していた!!!前日に「明日は検査があるから、午前中は見舞いに来なくていいよ。」とshinjiに言ってしまったことを後悔。。。それにしても、世間的に「看護師不足」とは知っていても、この仕打ちはちょっとひどすぎる〜!!!

レントゲン撮影を終え、ヨロヨロと病室へ辿り着きそのまま倒れ込んだ。この日は何故か点滴のスピードが異常に遅く12時過ぎまでかかった。昼食は「とろろ蕎麦」が運ばれて来て、ものすご〜く食べたかったのだが、レントゲンの迷子のおかげで吐き気があり、ほんのちょっとしか食べられなかった・・・。う〜〜〜、せっかく「お粥以外」の食べ物だったのにぃ〜(>_<)

夕方お見舞いに来たshinjiから、明日、友人がお見舞いに来たいと言っていると聞いた。・・・が、この日は1日食事もまともに摂れずに、どうにもこうにも体調が悪いので申し訳ないけど勘弁してもらうよう伝えてもらった。頭痛は一向に引かないし、気心知れた友達と言えど、こんなブルーな精神状態でフツーに対応出来る自信が無い。。。

そのまま夜間も吐き気が続き、不眠気味のまま夜が明けた。

5月2日 〜 オペ後5日目 〜

この日も朝の点滴は同じ。朝食時に吐き気が更に悪化し、ほとんど食べられないまま、前日の不眠分を取り返すように午前中はひたすら眠る。昼食時もまだ吐き気があり、当然頭痛も続く・・・。もうイヤだ〜〜〜(T_T) このまま頭痛が引かないんじゃないの〜?退院出来るの〜???とかなりブルーになり、お見舞いに来たshinjiにもキツク当たってしまう。。。

昼寝をしたあと夕方になり吐き気が少し緩和された。そんな所に、職場で一番仲の良い先輩がお見舞いにやってきた・・・というか、私が居ないとグチの相手がいなくてストレスが溜まっていたらしく(笑)、1週間分の出来事いろいろをザーっと話して帰っていった感じ(^_^;)。起きあがると頭痛が悪化するので、申し訳ないけど寝たままの状態で応対させてもらった。

夕方の点滴は抗生剤の1本のみになり、頭痛もだいぶ引いてきて、食欲も回復。夕食は「味の無いお粥」以外は完食(^_^)v オペの傷の痛みも、腹筋を使わなければ痛み無し。夜間も久しぶりに熟睡。

5月3日 〜 退院 〜

目覚めは気分爽快!昨日までの頭痛と吐き気がウソのよう♪でも、朝の点滴は元通りの2本だった。。。朝食時も頭痛が全くなく完食(*^_^*)

オペからちょうど1週間。回診時に抜糸。傷跡も綺麗にくっついたらしい。頭痛が治まったことを話すと、Drから突然「家に帰ります?」と聞かれた。「え?帰っていいなら帰りたいです。」 ・・・ということで、急遽退院決定!点滴中なので、昼食を食べてから帰宅ということになった。

頭痛がなくなると今度は寝ているのが辛いので、起きあがりTVを見て時間を潰す。入院時に用意した雑誌等もほとんど読む暇がなかったなぁ〜。「入院生活」って暇な時間がい〜っぱいあると思っていたけど、私の場合はあっという間に過ぎちゃった。

昼前、急な退院のメールを見て慌てたshinjiがやってきた。「もっと事前に言ってくれないと・・・」 だって、急に元気になったんだもの〜♪

昼食後、ゆっくりと身支度をして退院。ナースステーションにも寄ってみたが、特に休日は人手が少ない様子で、看護師さんは1人しか居なかった。。。1階の受付で入院費を支払う。「虫垂炎」ってそんなに高くないらしい。まあ、差額ベッド代があるので安くもないのだけど・・・。でも、あの激しい頭痛の中、トイレまで歩くのも大変だったから、トイレ&洗面所付きの病室で本当に良かったと思う。

そんなこんなで無事退院♪しばらくは腹筋に力を入れると痛みが走る日々は続くけど・・・。 

今まで医療関係者として働いていても、実際には風邪以上の病気には縁の無かった私。今回の入院騒ぎで感じたことがいくつかある。

@ 2ndオピニオンの重要性 ・・・ 医者は万能では無い。盲腸は最初は痛みが移動するし、レントゲン等でも写りにくいらしいので、最初にかかった病院の医者が「ヤブ医者」だとは言い切れないけど、そのままあと2〜3日放置していたらもっと大変な事態に陥っているところだったのは事実。結果として、翌日に他の病院にかかったことで命拾いしたことになった。病院の選択は命に関わる!ちょっとでも不信に感じたら、面倒でも他医師の意見を求めることがとても重要!

A 病院内の連携のスピード化 ・・・ 「虫垂炎」と診断されてからオペに至るまではとてもスムーズだったが、入院中に関しては、医師の指示が実際に患者の元に届くまでに時差がある。院内でのいろんな手続きがあることは理解出来るが、患者の為にも速やかに仕事をして欲しい。

B やっぱり看護師は不足している ・・・ オペ直後は1〜2時間置きに様子を見に来てくれたが、その後はナースコールをしてもなかなか来てもらえなかったり、術後の検査もひとりで行かされたり・・・と、巷で言われている「看護師不足」を実感した。患者は通常と比べてかなり不安感が増しているので、そのケアの為にも多くの看護師さんが必要だと感じた。

C 一番の支えは家族 ・・・ 医者も看護師もとても一生懸命治療してくれたけど、やはり精神的には家族が一番頼りになる。ただ単に「痛い〜!」とかグチれるだけでも、だいぶ気が楽になった。家族に見捨てられた患者は、絶対に病気に勝てない気がした。

・・・などなど。他にも今回の入院でいろいろと感じたコトもあるが、今の私が出来ることはとても限られている。。。ただ、「患者」としても「医療関係者」としても、今後の心構えがだいぶ変わったように思う。

ほんの少しだけでも、私のこの「盲腸日記」を最後まで読んで下さった方の今後の病気時の参考になると良いのですが・・・(*^_^*)