神戸〜姫路

2日目(5月4日) 〜その1〜

AM7:45、起床。

朝食は1階の喫茶室にて。テーブル3卓&カウンター4席ほどの小さな店内なので、タイミングによっては順番待ちになるのかも(笑)。

料理は、支配人の奥さんとパートのおばちゃんがお喋りしながら手作り。冷めたビュッフェよりはアットホームなこんな朝食サービスも良いかも。。。

食後身支度を整えてAM9:00にチェックアウトし、世界遺産:姫路城へ向かう。

ちょうど「姫路菓子博2008」が姫路城の隣りで開催されていたので、姫路城までの道のりも西の丸の辺りも大混雑していた。時間があったら菓子博にも寄ってみようかとも思っていたけど、入場するだけで数時間待ちになりそうな状況なので辞めることにした(^_^;) でも、この菓子博のおかげで、姫路城内の有料ゾーンはやや人出が少なめだったのだと思う。

 

 姫路城 

数多くの国宝・重要文化財・伝説などを有する姫路市のシンボル。姫路城は白漆喰で塗り固められた白壁ゆえ、別名白鷺城と呼ばれている。奈良の法隆寺とともに1993年12月、日本で初めてユネスコの世界文化遺産に登録され、日本に現存する城の中でも世界的に高い評価を受けている。5層7階の華麗な大天守と3つの小天守などから成る連立式天守や白漆喰総塗籠造の白壁などは、白鷺城とも呼ばれる美しい景観を生み出している。

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外観は白鷺、中は要塞

姫路城は白漆喰で塗り固められた白壁ゆえ、別名「白鷺城」と呼ばれている。白漆喰を使っている理由は防火のため。他の日本の現存城郭と同じで、姫路城は石造りではなく木造。従って、防火は大変重要。白漆喰は火に大変強く、なおかつ強固な補強材。そのため、壁だけでなく軒から柱に至るまで、ほとんどの外面を白漆喰で塗り固められている。

城は海抜45.6mの姫山という小山の頂上に建っている。城の中心を成しシンボルである天守閣の高さは46.4m。姫路城はこの巨大な天守閣だけでなく、大変効果的かつ迷路のような複雑な防御の仕組みで有名。

この城は一度も戦に巻き込まれたことがなく、幸運にも第二次世界大戦の戦火からも免れ、木造城郭や石垣および白壁がよく保存されている。姫路城と言えば、よく建築様式の美しさが取りあげられるが、城の内部には敵の侵入を防ぎまた撹乱するための様々な工夫が施されていた。

上記のように、迷路のような城郭内には順路の標識がたくさんあり、私はそれをなるべく守りながら見学したつもり。・・・が、帰宅後色々調べてみたら、どうやら順路のほとんどを逆行していたようだけど(笑)、私が見学した順番にご紹介〜♪・・・(^_-)v

 三国濠 

「菱の門」をくぐるとすぐ右手に天守が見える。攻め込んできた敵はすぐに天守に向かって突き進もうとするが、道はこの濠で狭められ、攻め込んできた兵は流れを悪くさせられる。

濠の前に居た案内のオジサンが、「この濠に映る逆さの天守閣の姿は、晴れて風の無い日にしか見られません!」と説明していた。 この日はちょうどその条件を満たしていたようで、水面にとても綺麗に逆さの天守閣が映っていた。

 お菊井戸 

毎夜、井戸の底から「一枚、二枚、三枚...九枚」と皿を数え、一枚足らず泣き伏せ悲しむお菊の声が聞こえる ・・・怪談映画「播州皿屋敷」で一躍有名になったのがこのお菊井戸。

覗いてみたけど、深くて底まで見ることは出来ない。身体を乗り出して落ちないように、井戸の口いっぱいに頑丈そうな網が張られていた。

← 備前丸から見る天守閣 

天守台の東南隅に位置し、外観5重・内部は地下1階・地上6階の造りになっていて、最上階の大棟両端には阿吽(あうん)一対の大鯱瓦(しゃちがわら)を飾っている。外観は千鳥破風・大千鳥破風・唐破風を組み合わせ、調和のとれた非常に美しいものになっている。

真下から見上げると、城がただの建築物ではなく芸術的な物に見えてくる。中央に見える屋根が丸くなだらかに左右に拡がる唐破風は日本建築最大級のものらしく、緻密な造形美に感心してしまう。

← 大天守最上階からの眺め(西側) 

写真中央付近には千姫ゆかりの「化粧櫓」が見える。また、千姫が化粧櫓のあたりから毎日遙拝した天満宮がある「男山」も右手に見える。

石垣が14.85m、建物が31.5mもあるので、最上階まで登るとかなり高所に来た気がする。内部の階層も今まで見た数々の城の中でも、かなり巨大なほうだと思う。

 姥が石 

「ほの門」の手前の天守のふもとにある半円の石。

秀吉築城の際、石が不足して困っていると聞きつけた餅屋の老婆が石臼を差し出した。それを聞いた秀吉はたいそう喜び石臼を石垣に使い、そんな話がたちまち広まり、領民たちはわれもわれもと様々な資材を提供するようになり、工事が順調に進んだと言われている。

← 「ほの門」をくぐった辺りからみた小天守

備前丸から見た城と同じ城とは到底思えない姿。・・・とても複雑で芸術品とも言える。

 クロス瓦 

「にの門」の西面にある鬼瓦。秀吉に力を貸した功績として、秀吉の姫路城には黒田孝高の紋瓦が使われた。黒田孝高はキリシタン宗に帰依していた為、十字の紋瓦が使われた。

城の裏面になるので順路では非常に分かりにくく、我が家はたまたま城内ガイドの方が他の観光客に説明していたので気付いた感じ(^_^;) (スイマセン、ガイドさん!盗み聞きしちゃいました・笑)。

 化粧櫓 

千姫の身支度部屋であったため、美しい装飾と居住性をもった作りとなっており、内部は畳が敷かれ貝合わせという昔の遊び様子を再現した人形が、茨城県水海道市の弘経寺所蔵の千姫姿絵を元に再現されている。

元来、戦に備えるために作られた巨大な砦である姫路城は、優雅な外観とは裏腹に内部は荒々しい造りとなっていた。 さすが世界遺産に登録されただけのことはある! 規模も見た目も本当に素晴らしく見所が満載。私が今まで見た城の中でも1位2位を争う素晴らしさだと思う。 でも、あまりにも見所が多すぎて、帰宅後、見落とした部分が多数あるのに気付いてちょっと反省・・・(^_^;)。 戦火を免れてせっかくここまで保ってきたのだから、今後も絶対に大切に保存して欲しい。

(内部の写真撮影可能部分の写真は「アルバム」を準備中です・・・m(_ _)m)

 

AM11:00過ぎまでた〜っぷり姫路城を見学したあとは、途中何ヶ所か寄り道しつつ、帰りの便に間に合うように神戸空港へ向かう。

AM11:57発、JR山陽本線・新快速に乗り、PM12:20、明石で下車。 理由・・・「明石焼き」が食べたかったから(笑)。

 明石魚の棚 

「うおんたな」と呼ばれる明石・魚の棚商店街は、約400年前に明石城の築城とともに誕生したと伝えられており、宮本武蔵の城下町の町割りの設計により造られたと言われる古い歴史を持つ市場。全長350mのアーケードに明石特産の海の幸や練り製品、海産物の乾物などを扱う商店を中心に約110店の店舗が建ち並んでいる。

もう昼間なのであまり賑やかではない・・・

地面に無造作に置かれているタコ

明石の名物といえば「明石焼き」。地元の人が「玉子焼き」と呼ぶふわふわのタコ焼きは、やっぱり現地で食べてみたかった♪ 商店街にはたくさんの明石焼きの店があるので、歩きながらどの店にしようかと物色。ガイドブックに載っている「本家きむらや」や「よし川」は混雑していて並ぶ気にもなれないほど。 ・・・結局、商店街の一番端の店に入店。

 お好み焼 あかまつ 

明石焼き 10個¥380

メインは「お好み焼き」の店らしいが、もちろん明石焼きもやってる。私にとっては初めての明石焼き。ところで、「明石焼き」とは一体どんな物? 

< 約160年の歴史を持つと言われている兵庫県明石市の名物で、たこ焼の元祖でもある。明石焼きはたこ焼よりも軟らかく、銅の鍋とさい箸を使ってふわふわに焼き上げ、ソースではなくだし汁につけて食べる。なお、正式名称は「玉子焼き」ですが、卵焼きと間違いやすい事などを考慮して「明石焼き」と表記する。 >

昔は生地にしっかりと味が付いていて、出来立てを指でつまんでふうふう言いながら食べていたそうです。現在は箸で食べるが、やっぱり猫舌の人には厳しい食べ物(笑)。 たこ焼きと違ってとっても柔らかいので箸で掴んだ瞬間に崩れるし、関東育ちの私にとっては「だし汁」では味が薄くてちょっと物足りない気もしたけど(^_^;)、何事も経験!興味深い名物だった♪