タヒチ&イースター島 ('05.7.12〜23)

7日目(7月18日) 〜その2〜 晴れのち曇り、時々にわか雨

タハイ遺跡に到着したところで、見学する前にDaleから簡単な自己紹介と見学中の注意事項について説明があった。

彼はアメリカ・シカゴ出身。最初は「イースター島博物館」(←最終日に見学予定)に勤務していて、数年後にツアー会社に転職してガイドになったらしい・・・その他、Daleはいろいろ話していたが、100%英語のみのヒアリングは久しぶりなのでかなりの集中力が必要で、私が聞き取れた範囲内ではこんな程度。まだまだ勉強不足・・・(>_<) (あれから長い時間が経過してるので覚えていないって理由もある・・・(^_^;))

自己紹介のあとに注意事項について説明。見学中に一番大切なのは「AHU(アフ)には絶対に入らないこと!」 「アフ」とはモアイ像が立っている石を積み上げた祭壇のこと。石の隙間から人骨も発見されているので墓として利用されていたという説もある神聖な場所なので、絶対に足を踏み入れてはいけない。モアイ像が乗っていないアフだけの遺跡もイースター島内にはたくさんあるので、実はモアイ像よりもアフのほうが現地の人々にとっては神聖な建造物。 ・・・でも、周囲を鎖で囲われているわけではない。Daleの説明も、指さしで「このへんから先はダメ!ここまではOK!」というかなりアバウトな説明だった・・・(^_^;)

さて、私は半分そこそこしかヒアリング出来ない状態だが、とりあえず見学へ出発(^_^)/

 

 タハイ遺跡 Tahai
ハンガロア村から歩いて見に行くことが出来る唯一のモアイ像。村の中心部から歩いて10分ほどの場所にある。1968年と1972年にアメリカ人考古学者によって修復、復元された。海に向かって右側には眼が復元されたアフ・コテリクのモアイ像、中央にはアフ・タハイのモアイ像、そして海へと続く坂を挟んだ左側には5体のモアイ像が並ぶアフ・バイ・ウリが立つ。アフ・バイ・ウリの前の斜面には、住居跡、鶏小屋、倒れたままのモアイ像などがある。モアイ像越しに海に夕日が沈むので、夕方に訪れるのもオススメ。
← タハイ遺跡入り口

壁や柵もなく石造りの看板が置いてあるだけ。チケット売場なんかも一切無い。広場の隅のほうに緑色のジャンパーを着た見回りの人が一応居るけど、遠くから観光客の様子を見ているだけ・・・という感じ。まぁ、何かやったら飛んで来るのだろうけど。。。

  アフ・コテリク 

フランスの週刊誌の撮影の為に1968年に完全に復元されたイースター島内で眼の入っている唯一のモアイ像。モアイの白目は白珊瑚、黒目は黒曜石で出来ている。このモアイの眼は複製品で、現存する本物の眼はイースター島博物館に展示されている。

遠くから見るとなんとなくユーモラスに見えたが、近寄ってみると「霊力(マナ)を出している」と言われるのが実感出来る。

ちなみにこのアフ・コテリクの写真でモアイ像の基礎知識を説明すると・・・

頭の上に乗っている帽子様の物は「プカオ」と呼ばれ、当時の島民の髪型(日本のちょんまげみたいな感じ?)からきているといわれる。素材は赤色凝灰岩。 モアイ像が立っているプラットホーム型の部分が上記の祭壇「アフ」

  アフ・タハイ 

中期作成のモアイ像。頭の部分が少し欠けてしまっている。

無言で空を見上げていた。。。

  アフ・バイ・ウリ 

西暦700年頃作成のアフで、島内で一番古いと言われている。初期のモアイ像の特徴で、形がずんぐりしていてお腹の出ているモアイが5体並んでいる。

それぞれが個性のあるモアイ像たち。

アフ・タハイとアフ・バイ・ウリの間に石製の船着き場があり、優れた石組みの技術を示している。狭いので小型カヌーのみ使用していたと言われている。船着き場には「水」と「アフ」をつなぐ接点としての役目もあり神聖な場所とされている。
← ボートハウスの跡

イースター島に初めて上陸したホツマツア王がこの地に来た時、乗ってきたボートをひっくり返して雨風をしのいだのがボートハウスの始まりと言われている。入り口は狭く細長い形になっている。かまどの跡が外にあるので、外で火をおこして調理していたらしい。

← 倒れたままのモアイ像。その奥には、このモアイの頭の上に乗っていたと思われるプカオが転がっている・・・。その先に見えるのはアフ・バイ・ウリ。

見学途中から小雨が降り出した。傘は車の中に置いてきてしまったので慌ててウィンドブレーカーを引っぱり出した。事前に「風が強くて傘は役にたたないので、雨合羽を用意したほうが無難」という情報を得ていたが確かにそのとおりで、傘なんか差していても飛ばされてしまいそう。Daleもリュックから傘ではなく合羽を出して着ていた。小雨が上がると見張り用の小屋の上に綺麗な虹がかかっていた。

一番奥に見えるのがアフ・バイ・ウリ。手前が眼の入っているアフ・コテリク。

ハンガリー人のひとり旅のおじさんは考古学者・・・とまではいかないまでも、かなり歴史に詳しいらしく、Daleが説明したあとには必ず二人で激論を交わしていた。その内容はさすがにレベルの高い英語で私には全く理解出来なかった。たぶん、日本語で行われていても歴史に疎い私にはついていけないだろうけど・・・。(^_^;)

野生の馬とアフ・バイ・ウリ

タハイ遺跡の次は少し北上して、島内で唯一海を向いているモアイ像のある「アフ・アキビ」へ向かう。村以外の場所の道は当然舗装なんてされてないのでデコボコ・・・。ガタガタ揺れる車内で、Daleは助手席から後ろに身を乗り出した状態でずっとしゃべり続けていた。