タヒチ&イースター島 ('05.7.12〜23)

7日目(7月18日) 〜その3〜 晴れのち曇り、時々にわか雨

 アフ・アキビ Ahu Akivi
数あるモアイ像のなかで、唯一、海に向かって建てられた像。島の中央近くの草原に左右に長く延びたアフの上に7体のモアイ像が水平線を見つめながら立っている。初期に制作されたモアイ像のためプカオを載せていない。それぞれ高さ4m余、重さは10数tもある。 1960年にウィリアム・ムロイ博士によって復元されたもので、このモアイ像はホトゥ・マトゥア王の伝説に出てくる7人の使者とも、7人の王子とも言われている。

正面から・・・

背中側から・・・

「シエテ・モアイ(7体のモアイ)」とも呼ばれ、ホトゥ・マトゥア王の故国ヒバの国の方角を向いている。また、春分・秋分の日に太陽の沈む方向でもある。建造は7世紀とも10世紀とも言われているが、7世紀説が正しければ現存する最も古いモアイのひとつ。

私はずっと、イースター島は海に囲まれた小さな島なのでモアイ像は必ず海を向いているものと考えていた。しかし、実際に海側を向いているモアイ像はこのモアイ達だけ。その理由は、モアイ像はその眼から出る霊力により「村民達を守る為」に村の中心を向くように建てられたから。ここのモアイ像が偶然にも海側を向いているのは、たまたま村が海側にあったから?春分・秋分の日に太陽が沈む方向が大切と考えたから? ・・・結局、全ては仮説なので、その本当の理由は当時を知っているこのモアイ達にしか分からないのかも。。。

 

アフ・アキビに続いては、プカオの切り出された場所「プナ・パウ(Puna Pau)」に向かった。

赤い色をしたプカオは、モアイ像本体が制作された場所とは別の場所で切り出されていた。赤色凝灰岩の石切場「プナ・パウ」には切り出し途中のプカオがいくつも放置されているらしい。

・・・が、しかし。舗装されていない狭い道は雨でグチャグチャで通行出来ない道ばかり・・・(^_^;) 案の定、プナ・パウへ行く道も大きな水たまりが出来ていた。その水たまりの前で車は一旦停止し、Daleと運転手さんが話し合った結果、プナ・パウは諦めて別のモアイ像を見に行くことになった。行き先は「ウリ・アウレンガ」。島内ではあまりメジャーではないが、何故か手が4本あるという珍しいモアイ像。

 

 ウリ・アウレンガ Huri A Urenga
1976年、ウィリアム・ムロイ博士によって復元された手が4本あるモアイで、アフ・アキビ同様内陸に建っている。このモアイはアフの儀式場の中心を向いていない。中心から左20°を向いており、これは冬至の時の太陽の登る位置に一致するため、このモアイには時計(暦)の役目もあったのではないかと言われている。
天気が悪くて写真ではハッキリ見えないが(^_^;)本当に手が4本彫られていた。右手は風化されていてかなり分かりづらい。

・・・なぜ、手が4本あるのか?・・・ 一説には単なる「間違え」で、最初にモアイを建造したときに左右の指先の中心が微妙にズレてしまったので、もう一つの左右の手を付け加えたのではないか?と言う説。 もう一つの説に、このモアイは「国境線を表す」という説がある。当時のイースター島は、支配者階級の住む「北」(モアイの左側)、労働者階級の住む「南」(右側)、そして背後にオロンゴ、前方にポイケ半島という4つの地域に分かれていたのではないか?という説。 ・・・もし、真実が前者だとしたら、とても人間味の感じられるモアイかも(笑)。

Daleはこのモアイに関しても神聖なアフに登ることを薦めなかったが、帰国後、いろいろ調べていて、どうやらこのアフは乗ってもOKだったらしいコトを知った(-_-;) 島内でこのモアイだけが並んで写真を撮れる唯一のモアイだったのだ。。。「言ってくれれば良かったのに〜!」と悔しい気持ちもあるが、アフはとても神聖な場所であること。風化がかなり進んでいることなどを考えると、モアイを守る為には登らなくて良かったのかも・・・。

以上で本日の半日ツアーは終了。ウリ・アウレンガに着いた頃には私の集中力は既に限界が近づいてきていて、Daleの言っていることがほとんど分からなくなってきていた(笑)。やはり、いきなりの「英語漬け」の時間はかなり厳しい!(^_^;)

ホテルへの帰路、ハンガリー人おじさんが、Daleが説明に使用していたイースター島の地図が欲しいと言い出した。持ち歩きにちょうど良い大きさだし、マイナーなモアイ像の位置も書かれているし、簡単なガイドも書かれているし、実は我が家もその地図が気になっていた(^_^;) Daleの話によると、どうやらその地図は村のスーパー「カイネネ」で売っているらしい。これは是非ゲットしなくては!

途中でハンガリー人オジサン&スペイン人家族を降ろし、我が家の宿泊先へ。Daleが「ホテルはどう?」とか「南米は初めてなの?」とか「日本へ行って、日本語を学びたいんだよ。」とかいろいろ話しかけてきたが、私はヒアリングするだけで精一杯で「話す」までには頭が回らず、まともな会話にはならなかった(^_^;) もうちょっと頭に余裕があればいろんな話が出来たかもしれないのになぁ〜・・・と、日頃の不勉強を後悔した(>_<)

 

PM6:15、ホテルへ到着。夕食はホテルで摂ることにしたのでレストランを探す必要は無いのだが暇なので(笑)、地図を買うついでに村の散策へ出掛けることにした。

 ハンガロア村 Hanga Roa
ハンガロア村はイースター島の中心地。住宅や主要施設など、ほとんどがここに集中している。メイン・ストリートは、Atamu Tekena(アタム・タケナ)通りと、それとT字型に交差し教会へと続くTe Pito Ote Henua(テ・ピト・オテ・ヘヌア)通り。アタム・タケナ通りにはレストランやカフェ、タクシー会社やレンタカー、土産物屋やスーパーなどが軒を連ねている。小さな村なのでゆっくり歩いてもたった30分程度の距離。

 

ホテルは村のはずれにあったが村までは充分歩ける範囲。まずはDaleが言っていたスーパー「KAI-NENE」へ。村の中心付近、赤い看板で目立っていたのですぐに見付かった。

中へ入ると左側に本屋さんらしき場所、さらに奥には日用雑貨や精肉やパンがゴチャゴチャと並んでいた。その本屋さんらしき場所で例の地図を発見。そして、あのハンガリー人おじさんも発見。「君達も買いに来たんだね!」と、うれしそうに言っていた。おじさんに続いて我が家も欲しかった地図を無事ゲット(US$7)。

イースター島での買い物で一番困ったのが通貨単位(^_^;)。

イースター島の通貨は「チリペソ」だが「US$」も充分通用するので、大抵の旅行者はUS$を持っていく。お店の金額は「ペソ」なのに「$」と表記してあったりするし(ペソと$は桁がかなり違うので大体想像つくが・・・)、US$で支払ってもおつりはペソでくる。店員さんは慣れたもんだが、こっちはすぐには換算出来ないので、おつりを騙されていても絶対に気付かないと思う(笑)。 ただでさえ海外で金銭感覚がおかしくなっているのに、財布の中にはペソと$が混在していて非常に分かりにくい!(-_-;)

村の港近くに建っていたモアイ像(これはたぶんレプリカ?)→

 

PM7:00。ツアー出発前にオーナーに指定された時間にレストランに行ってみたが、案の定、まだレストランは真っ暗・・・。一旦部屋に戻り30分後に再度出直した(笑)。

特に詳しい説明も受けずにホテル内レストランで食べること決めたが、当然、普通のレストランと同じでメニュー表があって好きな物を注文するもんだと思っていた。しかし、席に案内されたあとに水が置かれただけでメニュー表が来ない・・・。「???」と思っていると、すぐに料理が運ばれてきた(笑)。どうやら日本でいうペンションや旅館のような感じで、食事内容は既に決められているらしい(^_^;) 海外で注文せずに料理が出てきたのは初めての体験!日本以外にもこういう形式ってあるのね〜(*^_^*) でも、好き嫌いの無い私は全く問題無いけど、好き嫌いの多い人は困るかもしれないよね・・・。

サラダ・メイン・デザートのコース料理。メインの肉料理は日本人好みの味だったし、デザートの揚げバナナも美味しかった♪ ちなみにパンはパサパサしていてイマイチだった(^_^;)

PM9:15。今日1日を振り返りメモをして、明日の訪問先の予習もして、「さぁ!シャワーを浴びて寝よう!」と思いシャワールームに入ったところでハプニング発生!

私がシャワールームの電気を付けた途端に部屋の電気が消えたのだ!!!ガーン(-_-;) まだ服も脱いでいなくてシャワーを浴びていなかったのが幸いだった。。。 旅先で電気が消えた経験は初めてではない。ニューカレドニアでは電化製品の使いすぎでブレーカーが落ちたことがある(^_^;)(→ニューカレドニア旅行記3日目参照)。今回もちょうどshinjiがPCをいじっていたのでブレーカーが落ちたものだと思い部屋に戻った。するとshinjiも慣れたもんで、既に荷物からヘッドライトを取り出しブレーカーを探して室内をウロウロしていた(笑)。未だに私が理解出来ないshinjiの荷物の中味の一つだが、久しぶりに役に立った(^_^;)

shinjiがブレーカーを探し回っている間、私はフロントにこの状況を伝えるセリフを考えていた。私はスペイン語は話せないし、あの現地人オーナーに私の英語がうまく通じるかは微妙なところだし・・・う〜〜〜ん(-_-;)。そんなこんなで数分が経過。どうやらブレーカーは室内には無いらしく、shinjiが外に出てみたところで意外な事実に気が付いた。真っ暗なのは我が家だけではなく周辺全部・・・もちろんフロントのある建物も真っ暗で、奥のほうでロウソクの炎らしき灯りがチラチラしていた・・・。ホテルは高台にあるので眼下に数戸の家が見えるのだが、その周辺、街灯も含めて全てが真っ暗・・・。どうやら村全体が停電らしい(^_^;) 雷が落ちた訳でもないのに停電になる理由は良く分からないが、とりあえず我が家のミスではないらしいので一安心。停電なら回復するのを待つしかない。フロントに行ってもきっと無意味だし(^_^;)、数分で復活するだろうから〜と、おとなしく部屋で待つことにした。

・・・だが、日本の停電なら数分後には復活するが、此処は外国、しかも絶海の孤島「イースター島」・・・。 10分以上経過しても回復する様子もない。運良く天気の良い夜で、明るい大きな月が出ていたので窓を開ければ部屋の中は微かに見える。隣の部屋の白人夫婦は部屋の外にあるベンチで月見をしながらオシャベリしていた。 我が家は?というと、さすがの私でもこの暗さの中シャワーを浴びる気にはならないので(^_^;)、とりあえずベッドに横になることにした。・・・そしていつの間にか寝ていた・・・(笑)。

軽く一眠りしたPM10:00過ぎ。突然、部屋の電気が点いた!無事に停電回復〜♪

外を見ると眼下の民家も街灯も復活していた。良かった良かった(*^_^*)。 それにしても停電回復までかれこれ1時間近く・・・。日本の技術の素晴らしさを実感したハプニングだった。

その後無事にシャワーを浴びてから就寝・・・zzz