タヒチ&イースター島 ('05.7.12〜23)

8日目(7月19日) 〜その1〜 曇り時々にわか雨

AM8:00起床。夜中には大雨が降っていたが目が覚めた時には快晴ではないけれども雨は上がっていた。

AM8:30。昨夜のレストランに朝食を食べに行く。タヒチのホテルとは違ってイースター島では朝食付き♪

一応ビュッフェ形式だけどメニューは非常にシンプル。主食はパサパサしたパン、カステラ、ドーナツ、赤緑黄等の原色系の色付きのコーンフレーク(←何故か甘い物が多い!)、チーズとハムは2種類くらいずつ、デザートにはフルーツポンチとヨーグルト。 ヨーロッパの定番朝食メニュー「パン&コーヒーのみ」に比べれば充分なメニューだとは思うけど、外人って身体が大きいくせにホントに朝食は少ないよね・・・(^_^;)

ちなみに、我が家はやらなかったけど、要領の良い宿泊客は昼食用にサンドイッチを自作して持ち帰っていた(笑)。

AM9:30。昨日Daleに指定された集合時間にフロント付近に行ってみたが、当然来ているはずはない(^_^;) 昨日と同じように先にキアコエツアーの大型バスのお迎えが到着し、その後待つこと15分で我がマヒナツアーのワゴン車が到着。

車の中は昨日のメンバーに更に3名が追加されツアー客は計11名で満員御礼。キアコエツアーの大型バスとは規模が違う!(笑) 追加されたのはオーストラリア人カップルとフランス人のひとり旅のオジサン。英語説明組が増えた(^_^)v 我が家は昨日から一緒のハンガリー人オジサンと一緒に最後部座席に座り「Full Day Tour(1日ツアー)」に出発!

早速Daleから本日の日程の説明。午前中はまず島の東側へ向かい「モアイ倒し戦争」でモアイ像が倒された「アフ・アカハンガ」と、モアイ像が切り出された山「ラノ・ララク」。そこでバーベキューランチを摂ったあと15体のモアイ像が並ぶ島内最大の「アフ・トンガリキ」、北上し「地球のヘソ」と呼ばれる不思議な石のある「アフ・テ・ピト・クラ」「テ・ピト・オ・テ・ヘヌア」、白砂のビーチ「アナケナ・ビーチ」に立つモアイ像「アフ・ナウナウ」と周り、村へ帰ってくる予定。今日は「いかにもイースター島!」という有名な場所ばかり♪

アフ・アカハンガへ向かう途中、海岸沿いにいくつかのアフを見かけた。その中でも有名なのは「アフ・バイフ」。残念ながら時間の都合で立ち寄ることは出来なかったが、海岸線のすぐ近くに8体のモアイ像が顔を下にして倒れている様子を遠目に見ながら通過し、「アフ・アカハンガ」に到着。

 

 アフ・アカハンガ Ahu Akahanga
イースター島の初代王・ホトゥ・マトゥア王が埋葬されていると言われる村の跡。山側の村跡にはボート・ハウス跡の石組みも見られる。「モアイ倒し戦争(フリ・モアイ)」の時にはこのあたりも激戦地区であった。ほとんどのモアイが顔を下向きにして倒されている。
全てのモアイ像が倒されたまま・・・。倒れた時に落ちたプカオ(赤い石)があちこちに転がり、倒れた時の衝撃で首が折れているモアイ像もあった。顔を下向きにして倒されているのは、霊力(マナ)を出すモアイの眼を破壊するため・・・。
アフから少し離れた所に倒れていたこのモアイ像の前でDaleからクイズが出題された。

Q:このモアイ像は製作段階のどの過程で倒されたと考えられるか?

「正解者にはモアイ像のキーホルダーとミニパイナップルをあげるよ(^_-)」と言っていたが、残念ながら誰も答えられなかった。正解は、このあと向かう「ラノ・ララク」から切り出され「村に運ばれる途中に戦争に巻き込まれた」と思われる。そう考えられる理由は、このモアイ像はまだ眼が彫られていないから。

モアイ像は眼が入って初めて完成品となり「アリンガ・オラ」と呼ばれる。アリンガ・オラは内陸、つまり村の方を向き、その眼を通してマナを注いだとされている。そして、モアイ像に眼を入れるのは一番最後。アフに建てられてから眼の部分をくり抜いて石を入れた。なので、そのモアイ像が「アフ・モアイ」(アフに建ったモアイ)か、製造運搬途中かは眼の部分を見れば分かるのだ。 「ほぉ〜〜〜(@_@)」とメンバー一同がモアイ像の奥深さに感心。
アフ・アカハンガにはモアイ像以外にも遺跡が点在している。タハイ遺跡でも見かけたボートハウスもあった。

← 海に向かって右側には洞窟住居の跡もある。中に入って左側に石のベッド跡がある。この洞窟は出入りが自由なので、よくバックパッカーの寝床に使われているらしい(^_^;)。

ところで。島内のモアイ像が全て倒され破壊されてしまった「モアイ倒し戦争(フリ・モアイ)」とは・・・?

 モアイ倒し戦争(フリ・モアイ)
4〜5世紀頃からこの地を支配していた耳たぶの長い耳長族が盛んにモアイを作っていたが、1100年頃、島に耳短族が移住してきた。耳長族は権力を誇示しようとして巨大なモアイをつくり始め、人口が増加し食料が不足。更には、モアイ像製作用に木の伐採が進んだ為に造船が出来なくなり漁業にダメージを受け、森林破壊による土砂災害で農作物が被害を受け、税金を取られるようになった労働者階級(短耳族)が反乱を起こし両部族が対立。この対立で権力を握った耳短族は、耳長族の象徴でもあったモアイ像をことごとく破壊したのであった。

権力誇示が環境破壊を招き、やがては戦争に至ってしまった・・・現代の姿にとても良く似ていて、地球の未来について考えさせられる場所だった。。。

 

AM11:45。アシの茂る火口湖を持つ死火山「ラノ・ララク」に到着。遠くからでも山の中腹に無数のモアイ像が散乱している様子が分かってドキドキした。。。

 ラノ・ララク Rano Raraku
ラノ・ララク山は島内にあるほとんどのモアイ像が削り出された「モアイ製造工場」だった場所。1100〜1600年頃まで製造されていて、全盛期は13〜14世紀と言われている。岩肌には製作途中のモアイ像、半身のみの物や土に埋まっていて顔だけ見えている物、裾野には運搬途中に捨てられたようなモアイ像もある。山の内側にある火口湖の近くにもモアイ像が数体残されていて、ここから海岸までどのように運んだのかは謎のまま。。。山の右側には島内唯一の座ったモアイ像もあり、山全体で397体のモアイ像が残っている(ちなみに島内全体では887体)。
←駐車場に車を停めて軽い(?)ハイキングに出発。

ココから火口までは200mくらい。しかし、きちんと整備されている散策路ではないし、とても滑りやすいので注意が必要。全部歩くと2時間程度かかる(^_^;)。

歩き出すとすぐに山の斜面にポツポツと黒い点が見えてくる。これが全て製作途中のモアイ像達!海側を振り返ると遠くに15体のモアイ像が並ぶ島内最大の「アフ・トンガリキ」が見える。
特に柵などは設置されていない散策路。そこかしこに巨大なモアイ像達が様々な状態で転がっている。

そんな中をDaleの説明を聞きながらゆっくりと歩く。

切り出し途中のモアイ像もたくさん残されている。モアイは「タフ」と呼ばれる凝灰岩で作られていて、削り出す道具は堅い玄武岩だった。

←左の写真の中だけでも、切り出し中のモアイ像は3体あるのですが・・・分かりますか? 中央付近に頭が左向きのモアイと、その下に頭が右向きのモアイ。そして少し手前側に頭を上側に向けたモアイ。

まるでパズルのように岩盤を有効活用してモアイ像を切り出していたらしい。

 モアイ・トゥク・トゥリ

普通、モアイは腰までしかないので、足があってしかも正座している姿は珍しい。良く見るとあごヒゲが生えている。顔が小さいのは初期のモアイ像の特徴で、南米ボリビアのティワナコにある偶像に似ているので「南米説」の根拠になっているモアイ像。

← モアイ・エル・ヒガンテ

逆光の為非常に分かりにくいが(^_^;)、写真中央付近に斜めにデコボコしている部分に、島最大の全長21.5m、重さ推定百数十トンのモアイ像が製作途中で放置されている。完成して立てられていれば6〜7階建てのビルと同じくらいの高さになる。

もし無事に完成していたとしても、果たして当時の人力できちんと立てて、更に海沿いの村まで運ぶことが出来たのだろうか???

古代、習慣として行われていた入れ墨が、モアイにも施された。あごの下に赤い入れ墨の模様が残っている珍しいモアイ。

背中にも彫刻が彫られている物も多い。

ラノ・ララクのモアイ像の平均身長は5〜6m、体重は20t。ほとんどのモアイ像の身体の1/3〜2/3は地中に埋まっている。「ムロイ説」によると、製造は30人で1年間、6km運搬するのに90人で2ヶ月、アフの上に建立するのに90人で3ヶ月かかったという。・・・気が遠くなるような数字だ(*_*)

点々と放置されたモアイ像をたどると海に向かう運搬ルートがあるのがなんとなく分かった。

散策途中に見えた海にかかる虹 → 

 

ラノ・ララク山頂にはカルデラ湖があった。イースター島の祭り「タパティ・ラパヌイ」(1月下旬〜2月)に行われるイースター島流トライアスロンレースの会場でもある。 「ふんどし・チョンマゲ・入れ墨という当時のスタイルをした選手がカヌーに乗り湖を渡り、特大バナナ2房をかついで火口を一周し(約3km)、今度は湖を泳いで渡りゴール!」 というレースらしい(^_^;)。

火口湖の周囲にもよく見ると運搬途中のモアイ像が点々とあった。かなりの急斜面なので、当時の技術で運搬するのはかなり困難な作業になると思う。敢えて困難なルートを利用して運んだ理由は何だったのだろう・・・?

 

PM13:30。ラノ・ララクの散策は予想通り2時間近くかかり終了。両手を使って斜面を登ったりもしたので、足腰が丈夫でないとかなりキツイ場所だと思う(^_^;)

・・・ところで散策途中に偶然、6名ほどの日本人観光客を連れた「日本語ツアー」に行き会った。我が家は英語ツアーも2日目となり、ヒアリングもそんなに集中していなくてもある程度聞こえるようになっていたが、やはり少しでも日本語が聞こえるとそちらへ耳が向いてしまう(^_^;)

でも、ちょっと聞いていたところ、Daleのような詳しい説明は一切なくて「コレが○○です。写真を撮りますよ〜。」と言って一組ずつモアイと一緒に写真を撮って、すぐに「次に進みま〜す。」といった感じで、あっという間に我がツアーを追い越して行った。。。長い時間と高いお金をかけてイースター島まで来て、そんな感じのツアーで満足なの?・・・考え方は人それぞれだけど、私にはその人達がものすご〜くもったいないツアーをしているように思えて、「日本語ツアーを選ばなくて良かったぁ〜」と感じた。・・・まぁ、もともとは旅費をケチっただけなんだけど(^_^;)

 

・・・さて。山登りをして程良くお腹も空いてきた。朝の日程説明の時にDaleは確かここのキャンプサイトでお昼ご飯だって言ってたよね〜♪とワクワクしていたのに、Daleから予想外の重大発表が・・・!!!(*_*)