タヒチ&イースター島 ('05.7.12〜23)

8日目(7月19日) 〜その2〜 曇り時々にわか雨

時刻はとっくに昼を過ぎていて、ツアーメンバーのみんなそろそろ空腹。スペイン人家族の子供達はとっくにおやつに手を出していた(笑)。本当ならココでバーベキューランチのはずなのに、Daleから「ここのキャンプサイトは混雑しているので、とりあえずトイレ休憩だけしてランチは他の場所にします。」という発表があった。

確かに先ほど我がツアーを追い抜いていった日本語ツアーの面々もちょうど昼食中。キャンプサイト内のテーブルは既に満席状態。 「・・・なにも同じ時間帯に同じような場所に行かなくてもいいのにぃ!」と思うが、行き先々で他のツアーと鉢合うのはイースター島ならではの安全対策。島内には携帯電話も無い上、村以外の場所ではほとんど人通りが無い。万一、車が故障しても助けを呼ぶことが出来ないのだ。各ツアー会社がほぼ同じ様なスケジュールで回るのは、万一の時にお互いに助け合うためらしい。

なるほどその理由は納得出来るのだが、だったら、全てのツアーが食べられるようなもっと広いキャンプサイトを作って欲しい・・・(T_T) 我がツアーは、どうやらあと2ヶ所巡ったあとにお昼ご飯になるらしい・・・(-_-;) メンバー全員、空腹を抱えたまま次の観光スポットに移動。。。Daleに直接文句を言っているメンバーも居た(^_^;)

 

 アフ・トンガリキ Ahu Tongariki
海を背に15体のモアイ像が立つ、イースター島最大のアフ。1991〜95年に日本のクレーン会社「タダノ」の協力もあって修復・復元された。修復前のトンガリキは、モアイ倒し戦争だけでなく1968年のチリ沖地震による津波の壊滅的なダメージを受けていた。アフの前の広場の岩には多数の岩絵が残されている。また、少し離れた丘の上に立つ1体のモアイ像は、1982年の大阪万博開催の際に日本で展示されたもので、来日経験のある唯一のモアイ像。
アフ・トンガリキの前の広場はかなり広大。きっと大きな村があったに違いない。地面の岩には魚や亀、創造の神「マケマケ神」などの多数の岩絵がくっきりと残っている。
広場には復元されずに倒されたままのモアイ像も転がっている。

写真の奥に小さく見えるトンガリキまではかなりの距離がある。チリ沖地震の津波で流されたモアイ像の中にはアフから数百m流された物もあったらしく、こんな巨大な石を一気に押し流してしまう津波の威力にも驚いた。

10世紀に及ぶ歴史を持ち、古い時代のものに新しい石を重ねて少なくとも三回以上もの再建が行われているというアフ・トンガリキは、アフの長さ45m、アフ前の斜面の幅は160m。そのアフの上に整然と並べられた15体のモアイの群像は、かなり遠くからでなくてはカメラに収まらないほど巨大で大迫力があった。(個々のモアイ像の写真は、アルバム参照)

最初は右から2番目のモアイ像だけを復元する予定だったが、島民達から「なぜ1体しか立てないのか?」と言われ、4年間、約2億円という費用をかけて復元可能な15体全てを立て直したらしい。Daleから「ニホンノミナサン、アリガトウm(_ _)m」と日本語でお礼を言われた(*^_^*) ちなみに、立て直す代わりに左から2番目のモアイの頭部と、離れた丘の上に立つモアイ像を大阪万博開催の際に借りたらしい(^_^;)。「タダノ」のクレーン車は今でも空港近くの建物に1台置いてある。

 復元当時の様子が載っている「タダノ建設」の「モアイ像修復プロジェクト」はこちら→

アフ・トンガリキから北上するとすぐに島の北側の海に出る。更に、海沿いの道を西へ向かい走ると「地球のヘソ」と呼ばれる不思議な石がある「アフ・テ・ピト・クラ」に到着。

 アフ・テ・ピト・クラ と テ・ピト・オ・テ・ヘヌア Ahu Te Pito Kura & Pito O Te Henua
アフ・テ・ピト・クラには、アフの上に立っていたモアイ像のうちで最も大きな全長約10mの「モアイ・パロ」が顔を下にして倒れている。アフの近くには直径75cmの球形の石があり「テ・ピト・オ・ヘヌア(地球のヘソ)」と呼ばれている。この石は磁気を帯びていて、方位磁石を載せるとあらぬ方角を指す。
テ・ピト・オ・テ・ヘヌア

イースター島の初代王・ホトゥ・マトゥア王がこの地に来た時にこの石を持ってきたと言われている。ポリネシアには移住する時、元の土地から石を持っていく習慣があり、新しい島に着いたらまずの石を置き、そこを島の中心としていた。この石ももともとはイースター島の中心だったが、いつの間にか「地球の中心」という風に呼ばれるようになった。

周囲を囲むサークルの直径は約3m。中央に表面がツルツルの石が置いてありなんとなく宗教的な雰囲気があるが、実のところは「波に洗われて丸くなったごく普通の火山質岩」という説も・・・(^_^;)

アフ・テ・ピト・クラ

アフまできちんと運ばれ立てられたモアイ像の中では最大の物。プカオを被ると13m、90tにもなる。1837年、一番最後に倒されたモアイとして有名。

青い空と白い雲を背景に、草原に横たわるモアイ像とその頭から落ちた巨大なプカオ・・・周囲には何もなくただ風が吹き抜けるだけのとても物悲しい場所。。。

 

時刻はそろそろ「おやつの時間」・・・お腹空いたよぉ〜(>_<) 再び車に乗り更に西へ移動しPM3;00過ぎ、車は木陰のある広場「Pua Tiveka」というキャンプサイトに到着した。そこにはテントと白いテーブルがセッティングされていて、やっとメンバー全員が待ちに待っていたランチタイム♪

配膳のシステムが良く分からずに、「遠慮がちな日本人」の我が家は他の人よりちょっと出遅れてしまい一番最後にもらうことになってしまったが(笑)、きちんとこの場所で準備していてくれたらしく、温かい物は温かく、冷たい物は冷たい状態で用意されていた♪ プラムと一緒に煮込まれたチキンが柔らかくてめちゃウマ!・・・だけど、サラダは塩胡椒しか調味料が無かったので私にとってはイマイチ(^_^;)

食事中にミネラルウォーターが1本ずつ配られた。「Con Gas(炭酸入り)?Sin Gas(炭酸無し)?」と聞かれ、私は迷わず「Con Gas」をもらった。日本人には馴染みのない「炭酸入りの甘くない水」(笑)。生まれて初めてドイツで飲んだ時はかなり違和感を感じたが、今では海外で水を買うときはほとんどガス入りを買っている(^_^)v慣れるとコレはコレでひとつの飲み物として美味しい(*^_^*) 食後には温かい紅茶かコーヒーも♪

いろんなツアーのメンバーが一斉に食べていたラノ・ララクのキャンプサイトと違い、ここでは我がツアーメンバーだけのランチだったのでとてものどかに食事が出来た。ただ、あまりの空腹の為みんなが食べるのに夢中で(笑)、せっかく世界各地の人々がひとつのテーブルに座っていたのに、会話が全く無かったのがちょっと残念・・・!

食事が終わる頃から空模様が怪しくなり、ここを出発する頃には合羽が必要な程の雨が降り出してしまった(>_<)