ペルー旅行記 ('12.9.22〜9.30) 

日目(9月23日) 〜その2〜

PM13:30、きっちり時間通りに(笑)「英語観光ツアー」のお迎えのスタッフがやってきた。

徒歩でまずは「Catedral(カテドラル)」へ連れて行かれた。そして、その入り口の前でしばし全てのメンバーが集まるのを待つよう言われた。揃ったメンバー内に日本人夫婦1組を発見。その他のメンバーは各国いろいろ。一人旅の男性や女性や家族連れ、年齢も様々で合計18名と観光ツアーとしてはちょうどいい人数かな。

全員揃ったところで、最初はアルマス広場に面して建つ「Caterral(カテドラル)」の見学。

 

 カテドラル(Catedral) 

インカ人の強制改宗を目的として作られた壮麗な建物で、1559年から1654年の95年間をかけて建築された。 鐘楼には高さ2.15m、重さ5980kgの「マリア・アンゴラの鐘」が設置されている。現在はヒビが入ったため特別な機会にしかならされる事がないが、この鐘の音は20マイル先まで聞こえると言われている。もう一つこの教会で有名なものに「黒いイエズス像がありる。これは長年のロウソクからの煤が十字架にかけられたイエズス像を黒くさせたもので、教会改修工事の時にも洗われることなく「ブラック・ジーザス」の名で親しまれている。いまでは年に一度、10月の奇跡の行列の時に表に出されて市民とともに街を練り歩く。


カテドラルの入場口 →

残念ながら内部の撮影は禁止!コソっと隠し撮りをしようかと思ったけど(笑)見張りの人があちこちに居てちょっと無理だった(^_^;) 入り口から想像するより内部はかなり広大!特に目を見張ったのが銀300tを使ったという主祭壇!他にも素晴らしい彫刻を施した祭壇が数ヶ所、教会内の宗教画は400を超えているそうで見応え充分。ガイドさんの英語が比較的聞き取りやすかったので、知識が全く無い私でもある程度の理解は出来た(^_^)v。

教会内ではほとんど立ちっぱなしで説明を聞いていた。スタートから20分くらい経過した頃、shinjiの様子がおかしい事に気がついた。立って説明を聞くのが無理で冷たい床に座り込んでしまう状態・・・。 う〜ん、コレはかなりヤバイっ!(ノ゚ο゚)ノ あまりにも体調が悪過ぎて、どこがどう調子悪いのかさえも聞いても答えてくれない。・・・たぶん、かの有名な『高山病』ではないかと・・・

高山病(こうざんびょう)
医学的には「低酸素症」。別名「山岳病」ともいい、標高2500メートル以上の高所の低圧低酸素環境に適応できずにおこる症状で、代表的な自覚症状は頭痛、食欲不振、吐き気、嘔吐、疲労、脱力、めまい、ふらつき、睡眠障害である。そのほかに客観的に判断される所見としては、精神状態の変化(すぐに眠ってしまう、日時や場所がわからなくなる等)、運動失調(まっすぐに歩けない、立っていられない等)、顔や足のむくみがあげられる。なお高山病の重症型として注意しなければならないものに、高地肺水腫と高地脳浮腫がある。

『症状が出た時は、それ以上高度を上げないで停滞する』 というのが高山病の鉄則!この観光ツアーではもっと標高の高い場所まで行く予定になっている。なので、「・・・ホテルに戻ったら?」と声を掛けたら頷き、ヨロヨロと立ち上がってカテドラル見学終了と同時にホテルに戻る事に。。。

私は?と言うと・・・ 本当は観光は中止して、一緒にホテルに戻って看病するのが「妻の務め」(?笑)だとは思うけど、私はま〜ったくの無症状 かつ こんな遠くのインカの街まで来てホテルに缶詰だなんて耐えられな〜い! shinjiはホテルに戻って部屋で休むしか方法はないので、私が居ても特にやる事はない(!?)と考え、私はこのままツアーを続行する事にした(^_^;)。

去っていくshinjiの姿を見送ったあと、ガイドさんに事情を説明して私はツアーに戻った。と、同時に突然の大雨に・・・。どうして私が一人で行動すると雨になるのだ〜〜!(^_^;) カテドラルの出口付近には、突然どこから湧いてきたのか分からないが(笑)「雨合羽売り」の売り子さん達で大賑わい!私は折りたたみ傘を持参していたので購入しなかったけど、色は色々あったが、見るからに安っぽいごわごわしたビニール製だった・・・。

ガイドさんの案内で、カテドラルから徒歩で10分ほどで「サント・ドミンゴ教会(コリカンチャ)」に到着。

 サント・ドミンゴ教会(Iglesia de Santo Domingo) 別名:コリカンチャ(Qorikancha) 

インカ帝国時代にはコリカンチャと呼ばれる太陽の神殿だったが、神殿から黄金を取り除いたスペイン人が上部を壊し、土台の上にチュリゲレス様式の教会を建てた。しかし、クスコ大地震の際、教会は無残に崩れ落ちたが、土台の石組みだけはひずみひとつ起こさなかったという話は有名。現在も発掘、復元が続けられている。


インカ帝国の公用語であったケチュア語で「コリ」とは「黄金」、「カンチャ」とは「部屋」とか「囲い場」を意味する。コリカンチャは黄金の太陽の神を祭ったインカ帝国最高の神殿だった。

中庭 神殿の部屋

土台(インカ)と教会(スペイン)の建築の差が良く分かる

インカ時代、この神殿は文字通り「黄金」に輝いていた。その内壁には指二本分の厚さに金が塗られ、内庭には純金製のアルパカの立像や等身大のトウモロコシが置かれ、祭壇は純金製の神具に飾られ、その周囲には奉納された黄金の品々が山と積まれて眩しいほどであったという。現在は壁の金もすっかり剥がされて石組みだけが残るばかりだが、この部屋の内部全部が金色だったと想像すると・・・ とにかく目がクラクラしそうだ(笑)。

15:30、コリカンチャ見学後は出口の前でバス待ち(^_^;)。

市内は道が狭くバスが停車して待っている事は出来ないため、ガイドさんが別の場所に待機していたバスに連絡をしたらしい。 ・・・でも、なかなか来ない。ふと脇を見たら、メンバー内の一人旅の白人女性が歩道脇の石に座り込んでいた。きっと彼女も高山病。でも、彼女は一人旅なので頑張って観光を続ける気らしい(^_^;)

ボーっとしていた私の元にガイドさんが近寄ってきて、「ダンナさん、ホテルに帰ったの?体調はどうだったの?」と声を掛けてくれた。

私:「一人でホテルで休んでいると思います(笑)。高山病だと思うんですけど。」

ガイドさん:「クスコには昨日着いたの?」

私:「いえ。今日・・・というか、数時間前ですね。」

ガイドさん:「到着してすぐ観光なんて、そりゃ〜、高山病も出るよね〜。」と、苦笑。高度順応には個人差があるけどね(^_^;)

教訓 : クスコ到着日は出歩かずに静かにホテルで過ごしたほうがBetter。・・・「日程に余裕があれば」だけど(笑)。日本人にとって、南米旅行でそんなに余分に休める訳がない・・・(汗)

15:50、バス到着。予想よりも立派なバスで座席の座り心地もなかなかGood!(^-^)b そのバスで郊外へ向かう事10分ほど(アルマス広場から徒歩20〜30分くらいで行けるが、一人歩きはやめたほうがいいらしい・・・)。 到着時には雨は止んだ〜♪

サクサイワマン(Sacsayhuaman)

クスコの郊外、北1.5kmの丘の上に城塞跡。毎年6月24日には、この壮大な舞台で、往時を偲んできらびやかで荘厳な儀式「太陽の祭典(インティ・ライミ)」が、インディオによって何千人の観光客の前でとりおこなわれる。

この城塞もスペイン人がクスコを占領したとき、城塞の上部や塔などを破壊し、教会や政庁を作る材料にしてしまった為に、現在は城壁も砦も下部構造しか見ることが出来ない。

 

幅360mに渡りジグザグに作られている砦(左の写真)は、さまざまな形の巨石がまるでジグソーパズルのように一分の隙間もなく組み合わされている(中央の写真)。中でも最も驚いたのは、高さ約7m、重さ約120tもある超巨石が周囲の何十tもありそうな巨石群と多面体で繋ぎ合わされていること(右の写真)。 もちろん、クスコ市内の石組み同様「カミソリの刃一枚が入る隙間もない」事も驚きだが、それ以上に「この巨石群は一体どうやってここまで運ばれてきたのか?」 現在知られている石切場は遺跡から15ないし35kmも離れた山道の彼方にあるというのに・・・。

サクサイワマンの遺跡は巨石を3層に積み上げて作られている。その最上段まで昇るとクスコの眺めがとても素晴らしいので、「元気な人は一緒に昇りましょう!無理そうな人はココで待っていてください。」byガイドさん

← こんな感じの狭い通路&階段を登り・・・

・・・ココが1層目と2層目の間 →

私も勢いよく元気に登り始めたものの、2層目に到達する前 ・・・というか、階段ほんの10段くらいで休憩が必要なくらい息が上がる!!「体力が足りない」って問題じゃないよ、この息切れは(笑)

ガイドさんからも、「休憩をたくさん取って登って!」と言われたので、何度も何度も息継ぎをしながら3層目まで無事に到達!(^_^)/

青空だったらもっと風景が映えたかもしれないけど・・・(^_^;) 山間の狭い空間に赤茶色の屋根がみっしり!! インカ皇帝:パチャクティによって、クスコの街は力強さを象徴する聖なる動物ピューマの形に設計されたと言われており、ピューマの頭、心臓部にはインカ時代の重要な建築物が今も残っているのだが・・・ ピューマの形は私には分からなかった。(-_-;)

階段を登っている途中、コリカンチャ見学後に道端でダウンしていた白人女性がヘトヘトになっているのに気付いたのでちょっと声を掛けてみたが、「・・・ええ、大丈夫です。」とだけの返事。果たしてこのままツアー最後までもつのだろうか?もうココまで来てしまったら今更街に戻るのも大変だけど、せめてバスの中で休んでいたほうがいいのではないだろうか?一人旅だから頑張っちゃう気持ちもちょっと理解出来るけど・・・(-_-;)

3層目からの帰り道は別ルート。登りよりもややなだらかな斜面だった。

駐車場手前には、アルパカ?リャマ?と民族衣装をまとった女性達やお土産類の売り子がゾロゾロ。 民族衣装の女性の写真は、「撮るとチップを要求される」とガイドブックにも書いてあったので、前を通り過ぎてやや後方からの隠し撮り(笑)。

17:00、出発。この旅最高地点へと向かい、バスは山を登り始めた。

バスに乗り込んですぐ両手の指先がピリピリし始めた。最初は「寒さで凍えたのかな〜?」と思いマッサージしていたけど、10分経過しても治まらない。 ・・・薬剤師の勘(笑)。もしや、コレが有名なダイアモックスの副作用か?(@_@)

 ダイアモックスの副作用 : <軽度> 吐き気や食欲不振、手足のしびれ感、頻尿など 

・・・実は、私って高山病にはなりにくくて、ダイアモックスなんて不要な体質だったのではないか?(笑)

17:35、「タンボ・マチャイ」に到着。

とうとう来ちゃったよ!未だかつて経験したことのない「標高3765m」の世界!!富士山の頂上と同等レベルの標高。

入り口から遺跡までは階段はないけど結構歩く・・・。両脇にはアルパカのセーターやマフラー、アンデス柄の敷物の売り子さんが道端に店を広げ、綱に繋がれたアルパカやリャマも居た。

・・・そして案の定、例の高山病っぽい白人女性。かなりつらそう・・・でも、一緒に見学には行く(^_^;)。

タンボ・マチャイ(Tambo Machay)

「聖なる泉」と呼ばれ王の沐浴場だったというタンボ・マチャイ。乾季、雨季にかかわらず常に一定の水が石組みから流れ落ちていて、水源がどこかはいまだ不明。サイフォンの原理を利用して、遠くの低い所からもはるばる水を引いているという説が有力。

小規模な谷の一方の斜面に石組みによって建設された沐浴場、もう一方の斜面に見張り台が残る。沐浴場は4段に分かれた階段状の構造で、下部の低い2段がプレ・インカ時代の遺構。明らかに洗練された石組みがはっきり見られる上部の2段がインカ時代のもの。

最初に沐浴場の前でガイドさんからの説明を受けたあと、「元気な人は、向かい側の見張り台に登ってきてもいいですよ〜」と言われ・・・ 当然、高い所が大好きな私は登ってみる(笑)。

既に標高3765m。さすがにこれ以上の無理をしない人が多くて、ツアーメンバーの中で登ったのはほんの5名ほどだった(^_^;)。

← 見張り台から見るタンボ・マチャイ

更に数10mは登ったのかな?たぶん3800mに到達したかも?(笑) でも、ここまで来ちゃうとほんの数10mの差は空気の薄さには全く関係ないと思う(^_^;)。

18:00、これにてツアーに含まれていた見学箇所は全て終了!

バスに乗り込むと、ガイドさんから「帰り道でちょっとだけ洞窟遺跡に寄ろうと思います。時間外なので無料で見られますから♪」との報告。・・・さすがの私でもホテルにおいてきたshinjiの事がちょっと気になり出していたので(笑)早く市内に戻って解散して欲しいところだったのだが、別に誰も反対しない・・・(-_-;) みんなは私のように気になる事は無いし、追加で別の遺跡を見られるなら逆にありがたいものね〜(^_^;)

ケンコー(Qenqo)

サクサイワマンから徒歩15分ほどの所にある、石を組み合わせて造ったのではなく、自然の大きな石灰岩を削って造った岩場。

洞窟内には石を掘って作られた寝台があり、これは生贄を捧げるための祭壇だとか、ミイラを作った場所ではないかと考えられている。

・・・写真を見て分かるとおり、周囲は既に真っ暗!もちろんライトアップとか照明器具なんて物は一切ない! 見学時間外で無料とはいえ、とにかくよく見えないのでイメージも湧かない・・・。

でも、おそらく「プレインカ時代」に造られた遺跡で、石灰岩で出来た巨大な岩を加工して作られており、内部には岩を切り抜いて作られた通路などもあり技術の高さを感じられる今までの石組みの要塞とはまったく異なった遺跡だった。

 

18:30、市内に帰着。

私は、各自を滞在ホテルまできちんと送ってくれるものと考えていたが、ガイドさんは各自のホテルを確認し、私はアルマス広場でバスを降ろされた(爆)。

・・・ツアー前に一度ここまでの道のりを自分で散歩しておいて良かったよ・・・(-_-;)。

 アルマス広場の夜景 →

shinjiが一緒にツアーに参加していたら、このままアルマス広場沿いのチェックしておいたレストランで「ペルー料理」で夕食を〜♪と思っていたけど、どうやらそれは叶いそうにないのでそそくさとホテルに戻った。

部屋に戻ると、予想していたよりshinjiは元気だった。あまりにもぐったりしていたらレセプションに「酸素ボンベ」(←クスコのホテルほとんどで常備しているらしい)を借りに行くつもりでいたが、その必要は無さそうだった。(どんな物なのか興味あるのでホントは借りてみたかったけど・笑)

shinji : 「・・・たぶん、カテドラルでのガイドさんの説明を真面目に聞きすぎて脳が酸素不足になったんだと思う」

確かに脳が活動するときに酸素は絶対に必要。クスコ到着後、身体に蓄えられていた酸素が減り始めた頃に慣れない言語を必死にヒアリングしようとしたら、そりゃ〜、酸素を大量に消費しそうな気がする。

高山病対策
1・高所順応をする 2・腹式呼吸で酸素を充分に取り入れる 3・水分をたくさん摂りトイレに行く 4・食べ過ぎ、飲酒、喫煙、暑い風呂は控える 5・体力と酸素を消耗する急激な運動は避ける

対策として上記のような事がよく書かれているが、追加として・・・

教訓 : 高所滞在中はあまり深く考えない。頭は使わない。

を、追加したいと思う(笑)。 ・・・でも、じゃ〜、症状が全く無い私は頭を使わず、な〜んにも考えずに行動しているように思えるじゃないかっ!(。・ε・。) ちなみに、サクサイワマンのあとに出た私の指先のピリピリ感は、最高地点のタンボ・マチャイの見学終了頃には改善していた(笑)。

夕食は外出を控えて持参していた和食で済まし、明日のマチュピチュ行きの列車には大型の荷物の持ち込みが禁止されているので「1泊分だけの荷物」を準備して、シャワーを浴びて、今夜はshinjiのダイアモックスは1錠に増量、私は・・・不要な気もするが念のため半錠服用して就寝 zzz(=_=)zzz