タヒチ&イースター島 ('05.7.12〜23)

9日目(7月20日) 〜その2〜 曇りのち晴れ時々にわか雨

PM12:00過ぎ。隙間無く組まれた精巧な石組みがあるアフ・ビナプに到着。石組み技術の高さから南米ペルーのインカ文明との繋がりを唱える考古学者もいるという興味深いアフ。

 アフ・ビナプ Ahu Vinapu
ラノ・カウ山の東側。No.1とNo.2のふたつのアフがあり、特にアフNo.1の石組みはぴったりと隙間がなく、イースター島で最も精巧に組まれている。6体のモアイ像は顔を下にして倒れたまま。近くに赤色凝灰岩で作られた女性と見られる細身のモアイ像がある。

「アフ No.1」 石組みが精巧で水1滴も通さないほど精密に作られている。ヘイエルダールによると西暦1500年頃に作られたとされる。ペルーのインカ文明と同時期であり、また石組みがクスコ遺跡に酷似しているため、「南米起源説」の根拠となっている。
「アフ No.2」

かつて9体のモアイ像が立っていたアフ。ムロイ博士の年代測定の結果、857年頃と古いものであり、タハイ同年代とされる。クスコと同年代なのでやはり南米説の根拠になっている。

 

 南米起源説
ヘイエルダールは自らの探検を通し、「ポリネシア人は南米から来た」という説を主張している。モアイ像や鳥人などは南米にも似たような信仰があり、また潮流を計算するとカヌーで南米からポリネシアまで辿り着くのは不可能ではないことを証明した。西方からポリネシアへ行くには風と潮流に逆らわなければいけないので、昔のカヌーでは無理だったとしている。 しかし、学説の主流は「ポリネシア人の祖先は日本人と同じモンゴロイドであった」としている。紀元前に太平洋を航海していたラピタ人の石器がポリネシアで発見されたこと、言語学的に南米ではなく中国大陸に近いこと等が根拠となっている。

特にNo.1のアフは、1日目&2日目に見てきたアフとは明らかにに違う形状をしていた。ここビナプのアフだけがポリネシアの石組みではないし、南米大陸の方向を向いて建てられている。でも、もし南米説が正しければ全てのアフがこの石組みになっているはず?

Daleは「もしかしたら、このアフを作った人種と他の場所のアフを作った人種は、全く別々に上陸したのではないか?」と話し、ハンガリー人オジサンと大激論していた(^_^;)。 ・・・インカ文明の影響を受けたのか?それとも時代と共にアフの形状が変わって行ったのか?それとも、ただ単なる偶然なのか? 全てはミステリーに包まれている。。。

顔だけ見えてるモアイ像

赤色凝灰石で作られたモアイ像。色と胸の辺りの様子からも「女性」のモアイ像と言われているらしいけど、実のところは謎。。。お臍が彫られているのがかわいい♪

 

ここまでで午前中のツアーは終了。一旦ホテルへ戻り個々で昼食を摂り、PM3:00に迎えに来るとのことだった。・・・どうやら本当に午後の観光もあるらしい(笑)。通常の日本語ツアーでは最終日の午後に観光は付いていないので、英語ツアーを選んでちょっと得したかも♪

PM1:00にホテル到着。珍しく疲れが出てきた私は無理をせずに1時間ほど部屋で休むことに。。。そんな私と比較して、イースター島に到着してからかなり元気になっているshinjiは、またまたホテルから一番近いタハイ遺跡の見学に出掛けていった。かれこれ・・・4回目?(^_^;) ホテルの庭から見えるモアイだから行きたくなる気持ちも分かるけど・・・。

PM2:00。約1時間の散歩から戻ってきたshinjiと一緒に、昼食を食べるため村へ出掛けることにした。

せっかく南米に来ているのだから南米のファーストフードにも挑戦しよ〜!と、アルゼンチンの軽食の代表「エンパナーダ」(→ピロシキとかミートパイみたいな感じらしい)の人気店「アリキ・オ・テ・パナ」に向かったが、残念ながら店は閉まっていた・・・(>_<) タイミングが悪いのか、村内の他の店もほとんどが閉店中・・・。結局、2軒ほど開いていた店の片方に入店。

 TE MOANA 

入り口がテラスになっているおしゃれなパブ・レストラン。時々現地ミュージシャンのステージも開かれる。英語メニューがあり英語は通じる。ちなみに日本語メニューはありません(^_^;)

サンドイッチは日本のツナサンドのようにツナのマヨネーズ和えではなく、大きなマグロのソテーがそのまま挟まっていた。サラダも焼き野菜とチーズがたっぷり載っていたが、どちらもあいかわらず全く味付けがしてなくて、テーブルには前夜と同じく調味料4点セットが置かれた・・・(^_^;)

ツナサンド $4800

ミックスサラダ $4800

調味料4点セット

PM3:00集合で1時間弱しか時間が無いのでなるべく簡単なメニューを選んだつもりだった・・・が、案の定、出てくるまで非常に時間がかかり、食べる時間が15分くらいしか残っていない!今の我が家にはじっくり味付けしている暇はないし、絶対に食べきれない! ツナサンドは半分ほど食べたあとにテイクアウト用に包んでもらうことにして、サラダに集中!・・・だが、このテイクアウトをお願いしたのが失敗だった(-_-;) ケースか何かにそのまま入れてくれればいいのに、わざわざ几帳面にアルミホイルで包んでビニール袋に入れたりと非常に時間がかかる!自由行動だったら気にならない数分でも、団体行動が迫っているので落ち着かない!!! 私の海外食事経験の中でも、こんなに慌ただしく落ち着かない食事はかつて経験が無い・・・(T_T)

その後、会計をお願いしたらまたまた時間がかかる!店員さんが持ってきた紙にはチップ込みでUS$37。ちょうどの金額を持っていれば良かったのだがお釣りが必要で、それを待っている間に店の外を見覚えのあるワゴン車が通過・・・。

ガーーーン(-_-;)、うちのツアーの車だ!我が家が宿泊しているホテルの方向へ向かった。 完全に「せっかちな日本人」と化してしまった我が家は慌てて立ち上がり、お釣りを諦めて店を出ようとしたところで店員さんがお金を持って追いかけてきた(笑)。店員さんは何が起こったのか良く分からない様子だったが、とりあえず無事にお釣りをもらうことが出来た。 店員さんゴメンネ!非常に慌ただしい客で・・・(^_^;)

店からホテルまで走ること数分。時刻は既にPM3:15!

ホテルの外にはあのワゴン車が止まっていた・・・。そして、車の外でハンガリー人オジサンがカメラを持ってウロウロ。走る私に気付いたオジサンは「遅刻だね〜!罰金だよ〜♪」と明るく笑って、倒れそうな私の写真をパチリ。・・・私は息も絶え絶えでオジサンの冗談に答える余裕はなく、「I'm sorry...」というのが精一杯だった(^_^;)

ところで、周囲にDaleの姿が無い!どうやら車に乗らずに真っ直ぐに荷物を置く為に部屋に向かったshinjiを追いかけてホテルに行ったらしい。「遅刻している立場で部屋に戻るな!」とDaleが思ったかどうかは定かではない・・・(笑)。

落ち着いてから車内を見回すと、午前中に一緒に観光していたスペイン人一家が居ない・・・。ハンガリー人オジサンに聞いてみたら、「午後はこのメンバーだけだよ。」との返事だった。 きっと、午前ツアーのあとホテルへ向かう途中、Daleとスペイン人お父さんが何か会話していたのはお別れの挨拶だったんだ・・・。スペイン語だったので全く気付かなかったが、そうと知っていれば別れの挨拶くらいスペイン語でしたかったのに・・・(T_T)

計3名のみのツアー客を乗せたワゴン車は、現存する唯一のモアイの眼がある「イースター島博物館」へ向かった。

 イースター島博物館 Museo Antropologico Sebastian Englert
タハイ遺跡から坂を上った場所にある。島の立体模型や、島の歴史、モアイの製作&運搬に関する学説の紹介をしたパネルのほか、小さいモアイの頭や女性のモアイ像などが展示されている。なかでも、「モアイの眼」はほぼ完全な形で現存する唯一の眼。他にも、伝説の精霊「カバカバ」の木彫り像や、ロンゴロンゴ文字が刻まれた板が展示されている。
1986年、日本の凸版印刷の技術援助で現在の場所に移転した博物館。

平屋建てで館内もそれほど広くはないし、何故か数匹の犬がウロウロしていて、村の小さな展示場のような雰囲気(^_^;)

館内の展示は全てスペイン語。受付に言えば英語、仏語、日本語の解説ファイルを貸してくれる。日本語版はつい最近出来上がったばかりらしい。Daleは「僕の説明より、その解説書のほうが詳しいからね〜♪」と私達にファイルを渡し、「ハンガリー語は残念ながら無いから〜(^_^;)」とハンガリー人オジサンを1対1で案内していた。

Daleは「館内の写真撮影不可」と言っていたが、ガイドブック等には「フラッシュを使わなければ写真撮影はO.K.」とも書かれている。「モアイの眼」とか「ロンゴロンゴ文字」とかは写真に残したかったが、他の見学者の誰ひとりとして写真を撮っている人はいなかったので辞めておいた。片っ端から写真を撮るよりも、解説をじっくり読みひとつひとつを目に焼き付けるほうが重要な気がした。きっと、こういう場所で写真を撮りまくるのは日本人だけかも・・・?(^_^;)

「モアイの眼」は、縦15cm、横36cm、厚さ6cm。前日最後に見学したアフ・ナウナウで発見された。アナケナビーチは下が砂地だったので破壊されなかったが、他のアフではマナ(霊力)を消す為に破壊されたと思われている。中央の瞳の部分には赤色凝灰岩、白目の部分には白珊瑚が使われている。現在立っているモアイは複製の眼が入っているアフ・コテリク以外には眼が無い。なので、実際に全てのモアイに眼が入った姿は想像しにくいが、この実物を見ると当時の姿が少しイメージ出来た。「モアイの眼」は海外に貸し出ししている事も多いらしいので、今回見ることが出来たのはラッキーだった♪

「ロンゴロンゴ文字」はイースター島最大の謎。板には裏も表もぎっしりと象形文字らしきものが刻まれている。基本となる文字は120種類で、組合せにより1200種類の複合文字になる。驚くべきはその文字の読み方で、一行読むと板を逆さまにして次の行を読む(「逆プストロフェドン」という方法)らしい。18世紀に西洋人が上陸し、キリスト教の宣教師によって「不幸をもたらす邪教の文字」として排斥され、島民自ら焼却してしまい、現在では20数点残されているだけで、そのほとんどが海外の博物館にある。実際の内容や文字1つ1つの意味は未だに謎であり、現在は何の手がかりも残っていないが、これが解読されればイースター島民の起源がわかり、ポリネシアの・・・もしくは世界の歴史が塗り替えられることがあるかもしれない?

「ロンゴロンゴ文字」ってこんな文字 → 中西印刷(株)の「世界の文字」「ロンゴロンゴ文字」参照

 

ほとんどの島内ツアーは初日に村から一番近い「タハイ遺跡」とセットでこの博物館に寄るパターンが多いが、初日にイースター島の歴史の全てが納められたこの博物館に来ても、きっと全く理解出来ないと思う・・・(^_^;) 全ての遺跡を自分の目で見て知ったあとにここを訪れたほうが、今まで見てきた全ての遺跡が頭の中で一連の歴史年表になり、より理解が深まる気がする。Daleが最後にココに連れてきてくれたことに感謝♪

初日からずっと一緒に行動してきたハンガリー人オジサンとは、最終日になりやっと冗談も交えて会話出来るようになった。「僕は日本に2度行ったことあるんだよ。」とか、「君たちは何処に住んでいるの?」とか、博物館のショップでは「コレ、高いと思わない〜?」とか、色々と話しかけてくれた。でも、私の頭はボキャブラリーは少ないし、きちんとした文章にするのが苦手なのでイマイチ盛り上がりに欠ける・・・(^_^;)。 もう少しスムーズに頭が回転してくれればもっと盛り上がったかもしれない。。。

 

PM4:50。博物館見学を終えたあと、最後の見学場所「アフ・ハンガ・キオエ」に向かった。

 アフ・ハンガ・キオエ Ahu Hanga Kio'e
タハイから海岸に沿って北に少し行くとモアイ像が1体見えてくる。タハイのモアイに比べて少し背が低い。像の底の損傷が激しくコンクリートで補修してある。
通常のツアーではたぶん行かないアフ。博物館から徒歩でも行ける距離だが、タハイのほうが断然有名なので誰も居なかった(^_^;)

巨大なアフにポツンと1体のみで立つモアイ像は、顔立ちは凛々しいが、それに比して胴体の風化が進んでいるのが少し悲しい。。。

 

以上で長いようで短かったイースター島ツアーの全ての行程が終了。最後に村の民芸品店と教会へ向かう。