バンコク&アユタヤ ('06.4.22〜4.25)

2日目(4月23日) 〜その2〜

 King Power Durty Free Shop 

バンコク最大の免税店。世界の一流ブランドから民芸品まで他店を圧倒する品揃え。割安感はそれほどでもないがここに来るだけで何でもそろうので、時間を節約したい旅行者にはオススメ。スカイレール「Chit Lom駅」下車「Central World Plaza」内と「Phloen Chit 駅」前の「Mahathun Plaza」内にある。
結構広い店内、他の客もまあまあ居たし多少の日本語も通じるので、ひびきsanと私はそれぞれ別行動でお買い物していた。Suriyanから「40分後、PM1:30に集合ネ。」と言われ、DFSでは特に買う物の無い私は時間を持て余してウロウロしていた。あと10分くらいとなった時、遠くから「fu-koさ〜ん!」と私を呼ぶひびきsanの声がしてきた。・・・プチトラブル発生の予感(笑)。
何事かと思い近寄ってみると、レジには高そうなシルクパジャマが数枚。「?・・・どうしたの?」と聞くと、どうやら現金が足りず、しかも、クレジットカードは金庫に入れて来てしまったコトを支払う時になり気づいたらしい・・・(^_^;)。まぁ、私もたまにあるよ(笑)。日本ならそれを言葉で伝えることは簡単だけど、カタコトの日本語店員にはうまく通じなかったらしく、急遽、私の出番になったらしい。「私が立て替える」という方法もあるけど、普段からあまり現金を持ち歩かない私に、シルクパジャマ数枚も買えるような現金は持ち合わせていない(^_^;) とりあえず店員さんに英語で説明。すると「日本円も使えますよ。」という返事 → 通訳 → ひびきsan、首を振る。日本円の入った財布も金庫の中だ(笑) → 買うのをキャンセルしたい旨を伝える → 「レジに金額打ち込んじゃったから困る。」と言われる → 「何だ?その変な理由!」と思いつつも、とりあえず謝る → どうしても買わせたい様子の店員 → 「明日必ず来るから!」と言い残し、ひびきsanを連れて無理矢理その場を去った。外国では多少の強引さも必要(笑)。 そういえば、「レジに金額打ち込んじゃったから困る。」という意味不明な理由・・・確かイタリアのピサでも経験したっけ(→「南仏&イタリア旅行記」3日目その1、参照)。外人って一度入力したあと「削除する」という考え方出来ないのかな?
PM1:30。結局二人とも何も買わずにDFSを出発してアユタヤへ向かう(^_^;)。
タイってとことん平坦な土地で、どんなに走っても山も無い真っ平らな風景。郊外へ出ると畑や田圃しかなく、風景に飽きて来ていつの間にかウトウト・・・zzz。途中で目を覚ました時にはSuriyanも寝ていた(笑)。
PM2:40、バンコクから1時間ちょっとでチャオプラヤー川に浮かぶ歴代の王様の優雅な夏の離宮「バン・パイン夏離宮」に到着。

 

 Bang Pa-in Summer Palace (バン・パイン夏離宮) 

アユタヤの南20kmの地点にある王室専用の離宮で、チャオプラヤ川の中州に建つ。17世紀プラサート・トーン王によって建設された。歴代のアユタヤ国王が夏の離宮として使用していたが、王朝の廃絶と共に廃墟となってしまったのを現タチャクリ王朝のラーマ4世と5世が再興した。現在の離宮の建物はラーマ5世の時代に建てられた物がほとんどで、タイ式をベースに中国風やヨーロッパ風のデザインが取り入れられ一種独特な様式美をもつ建造物が多い。タイ風、中国風、ルネサンス風など5つの館が、湖を中心に点在している。
王様たちが避暑に訪れた「夏の離宮」と言うからには、涼しい場所なのかと思ったが、ちっとも涼しくない!

写真のような電動カート(有料)もあるが、「せっかくだからゆっくり歩きながら見たいなぁ〜」と思い歩くことにした。・・・が、やっぱり乗るべきだったかもぉ〜(^_^;)

炎天下を歩くのはかなり暑い!タオルと扇子が手放せなかった。。。

勢い良く噴水が噴き上がる池の手前には、綺麗に刈られたうさぎの親子達。

涼しそうに見えるけど・・・見た目に反してかなり暑い(>_<)

 

 Phra Thinang Wehart Chamran

内部まで一般公開されているのはこの中国風建築の陽明殿のみ。

タイルで動物や鳥などを描いた床や、細かな装飾が施された王座や衝立などがあり、繊細で豪華な宮殿。

 Phra Thinang Aisawan Thiphta-Art

湖中央にあるタイ風建築。別名「水上パレス」と呼ばれ、記念撮影ポイント。

 Ho Withun Thasana

小島の上に建つ展望台。

Suriyanから「上まで登ることが出来ますヨ。」と言われたら、登らずにはいられない私(笑)。くるくる回る狭い階段を登りきると、バルコニーから敷地内の美しい庭園が一望できた。この展望台の上が一番涼しかった(笑)。

他にも、タイ様式で造られた美しいパビリオンや、コリント様式とビクトリア様式を折衷したような謁見用の宮殿、キリスト教会のような姿の仏教寺院など、多彩で優雅な建築物が多い。

敷地内には建築物以外にも面白いモノがいっぱい(笑)。ちょうど旬を迎えたマンゴーの樹から熟して落ちた実をSuriyanが何個か拾ってくれた。・・・が、帰国後知ったことだけど、もし「もぎとったら」捕まるらしい。理由は王様の土地の物だから。。。確かに出入り口には兵隊さんらしき人も居たっけ。「落ちていた実」とはいえ、とりあえず捕まらなくて良かった・・・(^_^;) もし捕まったら恒例の「プチトラブル」では済まなかった(笑)。 他に面白い物としては、池の周りには大きなや、思わず「ワニ〜!?」と私が声をあげた巨大なトカゲも!このトカゲ、体長1m近く。どうみても日本のトカゲサイズではない・・・(-_-;)

 

離宮内を30分ほど巡ったあとワゴン車に乗り移動。「とうとう念願のアユタヤ遺跡だ〜!」と期待していたが、15分ほどで車から降ろされた場所場所はどうみても遺跡ではない・・・。旅程表にも書かれていない「アユタヤ日本人村跡」という場所だった。

 Ayutthaya Japanese Old Town (アユタヤ日本人村跡) 

朱印船貿易に携わっていた人々が、17世紀にチャオプラヤー川に沿って築いた町の跡。当時、傭兵隊長の山田長政をはじめとする1,500人もの日本人が住んでいたといわれる。駿河国沼津で領主の駕籠(かご)かきをしていたが、1611年(慶長16)ごろ朱印船に乗ってシャムに渡ったが、その才気から王都アユタヤに作られていた日本町の長となり、国王の信頼をえてシャムの最高官位についた。が、その後、日本人の影響力を排そうとした実力者によって地方へ左遷され、同地での戦闘で負傷したとき傷口へ毒薬をぬられて殺害された。1630年、長政一党の没落後はシャム軍に焼き打ちされ、町は廃墟と化した。

ちっちゃな資料館の中は、左のような山田長政銅像と模型以外はたいしたものがない。資料の展示よりも広い面積を占めていたのはお土産屋さん・・・しかも完全に日本人向けだった。

ブラブラしていたら、暇を持て余したお土産屋のオジサンに「山田長政って知ってる?」と聞かれた。「いいえ〜」と答えたらそのまま延々と解説が始まってしまった。。。歴史に疎い私は途中で飽きてしまい、どんな内容だったかは良く覚えていません・・・(^_^;)

本当は、日本人にとってこの場所は意味のある大切な場所なのかもしれない。。。。でも、この時の私にとっては「アユタヤ遺跡」のほうが大切だったので、「こんな所で20分も時間潰せと言われてもぉ・・・早く遺跡に連れてって〜!」とイライラ(-_-;) そうこうするうちに雲行きが怪しくなり、雷が鳴り出し・・・そしてとうとうスコール襲来!あ〜ぁ。。。
PM3:45。走ってワゴン車に飛び乗り、とりあえずアユタヤ遺跡へ向かってみる。15分ほど走ると赤茶色の遺跡風な建物が見えてきた。「ワット・ヤイ・チャイ・モンコン」に到着。・・・でも、外は大雨、地面はまるで川のような状態(-_-;)。Suriyan曰く「今日は台風並みですね〜!」だって。 とりあえず車の中で雨宿りしつつ、しばらく様子を見ることになった。
・・・確かに私は「雨女」の素質がある。特に、shinjiをおいてひとりで旅行する時はほぼ確実に雨に降られている。でも、こんな大雨だなんてプチトラブルにも限度があるよ〜!(>_<) 今回の旅行で私が一番気合いを入れて楽しみにしていたのがここ「アユタヤ」なんだけど、実はshinjiも以前から「行ってみたい!」と言っていたので、どうやらshinjiをおいて先に来てしまった私に罰が当たったのかもぉ〜(^_^;) ひびきsanまで巻き込んでしまってゴメンナサ〜イ m(_ _)m